近鉄で京都から奈良に入ると、大和西大寺駅と近鉄奈良駅の間にいきなり見えるんですよね。平城宮が。異界に来た感じがして大変好き。
とはいえ、2018年10月が初めて。2020年10月に再訪しました。以下、メインは2018年。2020年に再訪した部分は明示しています。
奈良文化財平城宮跡資料館
なお、ここは無料です。
子どもづれがちらほらおられたくらいでした。なお、私の立っているところの左側にだだっ広い畑というかなんというかがあって、その奥にポツンと太極殿が見えるの。実にシュールだった。
宇治の源氏物語ミュージアムほど楽しませる要素はないけれど、結構充実してるので本当にもったいない。平城宮の小さいのとか。
源氏物語ミュージアムくらい、「見せる」ことにこだわれば別なんだろうなあって思う、当時の人たち(皇族クラスだと思いますが)の暮らしの再現もあった。
これが唐招提寺の講堂になる東朝集殿。⇒西の京:唐招提寺。平城宮の建物がここに残ってる
これが、創建当時の唐招提寺ではこうなった。
うまく撮影できてないんだけど、左に見切れてるのが講堂。
鎌倉時代に大幅改築されてます。
本当に胸が熱くなる。
その他、租税として奈良の都に物を運んで来た人たちの記録があったり。(気の毒なことに、帰りに食料がなくなって死んじゃう人もいたんだそうな・・・。そこんところなんとかしろよ、藤原不比等・・・)
正倉院展にも同じような租税の記録があるんだけど、あっちは大層ご丁寧に。こっちは本当に無造作と言っていいような木簡や竹簡の荷札の展示(ほぼレプリカだと思うけど)
2020年10月 地下の正倉院展
元興寺から近鉄奈良駅まで戻り、14番のバスで一気に二条町へ。二条町が多分平城宮跡資料館に最も近いバス停なのよ。で、なんでここまでぶっ飛んで来ちゃったかというとこれです。
奈文研の側の最終入室が16:00、終了時刻が16:30なので姉さんは慌てていた。14番のバスは本数が少ないんだもの。もちろん、入場無料です。通常の展示の後に一室か二室くらいでちょろっと出てるの。
小学校の国語の教科書にあったよねえ。デパートを作ろうとしていたら長屋王の木簡が出てきました、ってやつ。あれ以来ずーっと見たかったの。
どうもレプリカではなく本物がしれっと展示されてて、ああ、満足。これは重文じゃなくて国宝でいいと思うんだが。長屋王が親王として扱われ、妻の吉備内親王との関わりか、内親王時代の元正天皇のことを「氷高親王」と書かれてるものが出てきたり。吉備内親王のことを「皇子」と書いてるのとか。
写真撮影可能だったけれど、どこまでアップしていいかわかんないのよ。というのも、奈文研の藤原京跡資料室で、写真の可否について書いてなかったから窓口で伺ったのだけど「写真の撮影は可能。ただ、勝手にアップしないで欲しい」ということだったので。なので、同じ奈文研だしなあ。ということで。「長屋親王」「皇子」「氷高親王」の木簡の写真は持ってるけど、ここでは出さない。
キモい話をしてあげよう。
長屋王ってね。藤原四兄弟(藤原不比等の息子たち)に攻められて自殺するの。聖武天皇がGo サインを出してないわけがない。
長屋王の父は天武天皇の息子の高市皇子。母は天智天皇の娘の御名部皇女(元明天皇の同母姉妹)。長屋王の妻は文武天皇・元正天皇の姉妹の吉備内親王です。文武天皇の父親が草壁皇子(天武・持統の息子)で、母は元明天皇(元明天皇の父は天智天皇。持統天皇から見れば異母妹)。文武天皇の息子が聖武天皇。聖武天皇の母親は藤原不比等の娘の宮子。
彼ら、近親婚を繰り返してきたことから「血」にこだわるのね。血の話をすれば聖武天皇は半分藤原さんです。対して長屋王は父方からみれば天武天皇の孫。母方からみれば天智天皇の孫。吉備内親王(天武・持統の孫)は男の子たちを生んでいるので、その子供たちはもう、濃厚に天皇家の血をひくわけよ。
そもそも、聖武天皇の母親は藤原氏ですから。さらにそこに藤原不比等の娘・安宿媛(のちの光明皇后)がいるわけです。
安宿媛の生んだ皇子が亡くなれば、藤原四兄弟焦るよね。
ね。まだ聖武天皇も妹も若いですし。妹がまだ男の子を生む可能性がまだある。だったらさっさと長屋王一家は殺しておきたくない?
長屋王事件で、長屋王に吉備内親王、吉備内親王の産んだ男の子たちも亡くなります。
結果、聖武天皇の息子たちは早世しますし、女の子が三人残るだけ。光明皇后の生んだ孝謙天皇が亡くなったところで天武・持統の血統の天皇は終わるの。藤原さんとしては濃厚に皇室の血が入っている長屋王一家じゃないから問題ないってところでしょうかね。
そういう、お人の名前の木簡が出てきて、お屋敷がまるっとわかるんだから、怨念を感じる。
こういう、凄まじいものをしれっと出してくるからなあ、奈良。恐ろしい子。
復原事業情報館
復原のための工事の技術とかいろいろあってこれもまた興味深かった。
なお姉さん、ここでペットボトル一本追加(160円)。やはりSuica決済不可。
実際の遺構そのもののところに作ってあるので、そういうのがあったりします。
第一次大極殿
さて、お目当の第一次大極殿へ。
姉さん、晴れ女すぎて、暑いのよ。
ここも無料です。
中には、高御座があった。
京都御所の高御座は即位の礼に使うので東京に持って行ってるけれど、これはレプリカだから。⇒京都御苑:京都御所。ガイドの時間に合わせると、なおおもしろい
とはいっても京都御所の高御座だって、平安時代から使っているものではなくて、大正天皇の即位のときに作ったものなんで、レプリカといえばレプリカ。
椅子があるけれど、奈良時代は知らんが、平安時代にはない。この高御座は京都御所の高御座のレプリカでしょうかね。
なお、高御座と言われると、花山天皇が即位するときに高御座に女官を引き入れてゴニョゴニョと・・・いう話を思い出します。確かにこれくらいの広さがあれば・・・みたいな、不埒なことを考えるのは多分私だけじゃないよね。
それはさておき、壁の模様もきれいなのよ。
そして、外を見るとこうなってる。シュール!
絢爛豪華なお家じゃないのに、家と家の間もそんなに詰まってなくて(つまり建ぺい率が低い)、うちの近所か!?みたいな。
なお、この近辺では災害があったらこの平城宮太極殿に逃げるようになってるんです。実はこの平城宮太極殿は免震になってる。実にシュールで実用的。
この正面には建設中の南門。これ本当にね、全部完成したら、白鳳・天平あたりの大河ドラマか映画を撮影するといいと思うんだよ。もしくは中国の隋・唐ドラマのロケ地にでもしてもらうの。それで有料化したらペイできると思うんだよね。
2020年10月は建設中の南門の中を覗けるようになってた。
もったいないけど時間がなーい!というわけでパス。
遺構展示館
井戸枠などがある、遺構展示館もある。遺構の上に作ってるんだもの。
もう一つ東院の庭園があるのだそうですけど、姉さん、ちょっと疲れて来た。
本当に、ここは自転車が欲しいよ。
公園内限定のシェア自転車なんかどうですかね?めっちゃ目立つ鹿型自転車でいいと思うんですよ。外にそのまま出たら一目でわかるようなやつ。
それで、バスが通ってるなっていうのがわかったんで。
バスに乗ることにしました。(これ、多分14番ね。2020年10月には逆方向に近鉄奈良駅から乗りました。)
シュールでしょう、この写真も。奈良公園側に向かって撮影しています。
なお、このバスもあまり本数はない上に、バスの時刻も不正確だったんで。。。
観光客も少なく、時間には余裕を持つ方が良いです。
朱雀門 2020年10月
この項目のみならず、以下は全て特記しない限りは2020年10月です。前回が大極殿側だったからから、今回は朱雀門側ということ。
実はもう、こんな時間で。奈文研にギリギリ16:20くらいまで粘ったのよ。
実にシュールよね。復元ですが朱雀門の手前に近鉄が走ってるの。見えるかな。
大極殿側は17時で駐車場も閉まります。この踏切も17時以降は通行不可。つまりこれから私は一方通行ということ。
朱雀門を大極殿側から通り抜け、正面です。
門の前にあるのはお人形です。
この石段(コンクリートだったと思うけれど)すっごい高いの。降りるとき怖かったわ(高いところがとにかく苦手)脇に穴が開けてあるから、そっちを通るのをお勧めしますよ。
ちょうど、前日からお祭りだったようですが、お祭りはすでに終わっていて、こっちもお祭りには要はないんだ。
朱雀門広場から朱雀門を正面に見たときに右側。東側ね。今回はこっちに用事があった。
平城宮いざない館
2020年10月は「平城宮いざない館」にも行きました。朱雀門広場の、東側の建物です。
奈文研が元々国立の研究所で現在は独立行政法人。ここは国営の平城宮跡公園でして、その中の建物だからなんだろな。ここは、18時までなの。だから、16:30に奈文研が閉まって、17:00に踏切が閉じるまでの間にこっちに渡ってしまえば、しばらく楽しめる。
こちらは一箇所「一つずつをアップしないでー」と言う表示があったのでそれ以外はアップしていいのかな。ということで。
アップしないけど平城宮の模型がかわいかった。
奈文研には企画展として「長屋親王」の展示があり、こっちには常設でレプリカの長屋王邸跡から出土した木簡もあります。「紀若翁(きのわかおきな)」(長屋王の娘)、「山方王子(やまがたおうじ)」(長屋王の妹)とか、いろんな人の名前が出てくる出てくる。
長屋王の邸跡から発掘されたお皿の複製品。
その他にも、長屋王コーナーではないところにも人面の描かれた土器(ちっともかわいくない。おそらく呪術的なものではなかろうかと書かれていた)とか。結構、この時代の人たちの絵って可愛いと言うよりも、キモいものが多い。
それより、面白かったのはこれ。
大極殿の斗栱の構造よー。
そしてもう一つ。瓦の構造。確かこれ、行基葺の説明ではなかったかなあ。
下は、行基葺の元興寺の、飛鳥時代の瓦です。⇒元興寺
もちろん、元興寺の説明もたっぷりあった。数時間前までいたところだからね。
駆け足だったけど、楽しかった。
遣唐使船と天平うまし館
朱雀門広場には、博物館的な「天平いざない館」、物産館的な「天平みつき館」、展望的な「天平みはらし館」に、団体客の集合場所「天平つどい館」に、「天平うまし館」があります。
遣唐使船はこの天平うまし館にある。
ただでさえ、ぼーっと近鉄で京都から奈良に入ると、大和西大寺からぎょっとするのに。
そして、これ!陸の上に!船!もう、ここ、完全に異界。
遣唐使船!2018年10月に伊丹行きのバスから見ました。⇒奈良ー関空・伊丹の移動。今回は伊丹までバスに乗った
これ、どれくらいのサイズ感なんでしょうねと思ったんだけど。人が乗ってるとわかるかな。
小さいの!どうも、現在「この大きさだったのではなかろうか」と思われるサイズで復元してるんです。
乗れるから乗るけどさ。本当に、北朝鮮からの木造船、あんなサイズなんです。今はモーターがあるけれど、あの時代はモーターないしなあ・・・。
渡航に何度か失敗して、小野篁が行かない!って言い始めるのもわかるし、むしろ八十島かけて漕ぎ出でぬと、近くの小島に流してくれた方がありがたいって思うのもわかる。
第一次・第二次遣隋使小野妹子(一行の)度胸と幸運、鑑真の弟子が行きたがらなかったのも、鑑真の渡航がなかなか成功しなかったのも。
そりゃ、菅原道真を追い払いたくて「遣唐大使」にしたくなるだろうし。された道真は全力で阻止して遣唐使停止させますわね。
宇津保物語の清原俊蔭が謎の国に漂着するのも遣唐使船が難破したからでしたね。
恐ろしや。
天平うまし館でご飯を食べよう
18時を過ぎるので、お腹が空くの。というわけで。全然天平じゃないけど、どう見ても異界への入り口だったから、現実に戻らねば。IRACA COFFEEです。
サラダとティーセットで、お茶は持ち歩き。
もう一つ、お祭りの時期限定のフルーツティーは、デザート。さっぱりしてるのね、フルーツティーって。
実は、IRACA COFFEEは、Go Toイートの奈良の商品券も使えましたし、Go To地域共通クーポンの電子クーポンも使えました。電子クーポンを使うのに手間取ってしまい、Go Toイートの商品券で支払いましたが。
食べログでIRACA COFFEEの口コミを見てみる?
食べログ IRACA COFFEE
忙しかったけど楽しかった〜。
で、外に出たら、遣唐使船に朱雀門がライトアップされてて、やっぱり異界への入り口よ。
ここから出るバスはもうないから、ミ・ナーラまで歩きました。そうです。そここそ、長屋王事件の。⇒ミ・ナーラ
西ノ京・大和西大寺駅周辺についてはこっちに。⇒西ノ京から尼ヶ辻周辺。かわいいかわいい古墳もMUST SEE!