明日香:文武天皇陵墓と高松塚古墳 [2020年10月 Go To奈良]

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キトラから歩いてて、行き先はあっちだね。

2020年10月の明日香はちょうど稲刈りの時期でした。

明日香の風景

真ん中に何か鳥居のようなものが見えるのがわかりますか。そっちに向かって、そぞろ歩き。鳥居の前に集団がやってきて立ち止まったり、案外観光客は多かったです。

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2018年5月にKKdayさんに体験させていただきました。
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クジラよりもイルカのようですが、残念ながら私は見られなかった。しかし!!!!!!!揺れる船がめっちゃ楽しかったです。乗り物酔いする人にはオススメしません。こっちも見てね!⇒花蓮でホエールウォッチング、とはいかなかったけど、揺れ揺れの船は楽しい!

——————————引き続き「姉御の一人旅ガイド」をお楽しみください。

文武天皇陵墓

地図でわかってましたけれども近寄りますと、どう見ても「宮内庁管轄」というやつで。天皇陵か皇后陵なのね。

どう見ても宮内庁管轄だわ

さっき入ってた人たちもおられたし、立ち入り禁止というわけではなさそうだったので、私も。

文武天皇陵墓

この先は入れません。

この場所が「文武天皇陵」とされたのは明治期以降です。江戸時代には少し離れた中尾山古墳が文武天皇陵と考えられていて、学術的にも中尾山古墳が文武天皇陵と考えられている話。

https://mainichi.jp/articles/20201126/k00/00m/040/397000c

牽牛子塚古墳(こっちが本物の斉明天皇陵と考えられている)とともに中尾山古墳も整備されるんじゃないかと思ってて。整備されてから行きましょうかね。

じゃあ、ここの「文武天皇陵」はどなたのお墓だったんだろうか。やはり、天武天皇の皇子たちかしら。

文武天皇は「大宝律令」のときの天皇だよ

文武天皇の両親は、草壁皇子(天武・持統の息子)と元明天皇(天智天皇の娘)。姉妹は元正天皇。息子は聖武天皇です。

天武天皇没後、草壁皇子は即位しないままに亡くなって、天武の皇后が即位(持統天皇)。持統から孫の文武に譲位され、文武没後は文武の息子が幼かったために母の元明、次いで文武の姉妹の元正が即位(日本史上唯一の、母から娘への譲位)して、ようやく文武の息子が即位し、これが聖武天皇という順番で皇位をつなぎました。ついでに言っておくと、持統と元明は天智天皇の娘たちで異母姉妹です。さらにその母親たちは蘇我倉山田石川麻呂の娘たち(おそらく年齢差のある姉妹)。

先代との関係をかっこ書きするとこうなる。

天武→持統(夫から妻へ)→文武(祖母から孫へ)→元明(息子から母へ)→元正(母から娘へ)→聖武(伯母から甥へ)→孝謙(父から娘へ)→淳仁(親戚へ)→称徳(孝謙上皇による淳仁追放)

というわけで、父から息子の皇位承継を前提にするとイレギュラーづくしなのが天武系。面白いでしょ。

文武天皇は、日本史上強烈な人を挙げるならば欠かせない、あの持統の孫で、母は平城京遷都した元明。息子の聖武は東大寺の大仏で有名だし、ここのところ私が欠かさず行ってる正倉院展で聖武天皇一家の遺物はよく展示されますしね。⇒正倉院展

親族が強烈なせいで地味ですけれども、 みんな覚えてるよね。大宝律令。姉さん、高校は理系かつ世界史なので、日本史は中学レベルだよ。天武天皇時代から(ひょっとするとその兄天智天皇時代から)律令制を日本にも導入しようと四苦八苦してた。その努力が「大宝律令」として実る。「日本」という国号を定め、「大化」以来あったりなかったりした元号を使うようにしたのも、二官八省を定めたのも、この大宝律令。

大宝律令制定(制定、でいいのか?)が701年。持統天皇の没年が703年だから、まだばあちゃんが生きてるんだけどね。

白村江の戦い(663年)から壬申の乱(672年)までが、黒船来航(1853年)から大政奉還(1867年)の幕末の動乱期の感覚に近くて、天武天皇の即位(673年)から大宝律令(701年)までは、大政奉還(1867年)から、大日本国憲法公布(1889年)までの感覚に近かったのではなかろうかと想像してる。ほら、期間的にも近くない?文武天皇は大激動の時代の天皇です。

え、藤原不比等と伊藤博文を同列に扱うのかwww。じゃあ大友皇子と徳川慶喜が同列で、天武天皇が明治天皇と同列で、吉野の盟約が五箇条の御誓文で、持統天皇は誰と同列だ、岩倉具視か大久保利通か。

姉さんの脳味噌はどこに向かうのか・・・。

高松塚古墳

キトラ側から歩けば、文武天皇陵の先に高松塚古墳はある。

国営明日香歴史公園

この辺り、ウォーキングコースになってるの。

この地図でわかるかな。

高松塚周辺

ここは二度目

10年以上前、JALが経営難になったときに、手持ちのJALマイルどうしようかなと思いまして。国内線がギリギリ出せるくらいしかなかったんだけどね。思い立ったのが、JRで奈良入り。正倉院展を見て、明日香。どこにJALが出てくるんかいって、ここからよ。KIX-OKA-FUKというルートをとるというわけ。これで1.5万マイル消化して、当分JALとはお別れということをしたことがある。

今回は飛行機のマイルは使わないけれど、2021年4月に期限を迎えるマイルが残ってて一瞬頭をよぎったのは、これをeJALポイントにして、FUK-ITM-FUKで宿泊は奈良というJALパックを購入しようかと考えなかったわけじゃない。JRは日々通勤その他に使う皆さんがおられるからなんとかなろうけれど、空路は積極的に使ってパッケージなら、Go Toで35%分税金がぶしゃーされるから。

姉さん、特に東京行きはもっぱらこれ使ってる。 JALダイナミックパッケージ

ほんっと、どうなるんでしょうね。JALよりもANAの方が危なそうなんだけどな。なぜか、航空会社の先行きが不穏なときに私は明日香に行くのね。

で、話は前回のJALが危うかった時の話に戻すんだけどね。

あのとき、奈良から関空に行く途中で立ち寄ったのが明日香。正倉院展からそのまま近鉄に乗って、飛鳥で降りて、飛鳥から天王寺まで近鉄、天王寺からJRだろうな。

飛鳥駅前で自転車を借りるかどうしようか迷って、この距離なら歩けるし逆に冷たい空気で喘息になると困るなって思って歩いた。まだ、スマホを持ってなかったと思う、あの頃。あのときキトラに行ったんだか高松塚に行ったんだか記憶が曖昧になってたの。

行ってはっきりしました。あの時に行ったのは高松塚です。

高松塚古墳

古墳のせいかな、谷になってるのだけど、そこに鈴なりのみかんと柿が生ってたのを思い出します。今回は、幼い木になってました。果樹園なんだろうな。明らかにどなたかのお家なので写真は撮ってません。

高松塚古墳とは

姉さんに教わる必要なんぞない、高松塚古墳は高松塚古墳。飛鳥時代の壁画で有名なところです。美しく鮮やかな女子群像が残ってたりするところ。

被葬者の歯やあごの骨から40代から60代の初老の屈強な男性と推定されてるんですね。

この周辺、天武・持統陵も近いし、本物の文武天皇陵と考えられる中尾山古墳(文武天皇は、天武・持統の息子の草壁皇子の息子)も遠くないので、天武天皇の皇子たちの一人でもおかしくない。

持統天皇ってさ。親族に対してなさったこと(特に大津皇子)を思えば、夫と息子の近くにいたいタイプのお人っぽく想像しちゃうのよ。草壁皇子ならばパーフェクトかなと思うけれど彼は20代で亡くなってるしなあ。一応、お墓も推定されてますし(明日香村の隣の、高取町)。

「親王」を使うようになった、文武朝以前を「皇子」それ以降に亡くなった人を「親王」と書き分けるならば、天武天皇の皇子の高市皇子、舎人親王、穂積親王、新田部親王、忍壁親王と名前が上げられるのも面白げ。

案外、天智天皇の皇子たちでもおかしくなくて、姉妹の持統に比較的近かったのは川島皇子(大津皇子の謀反を持統に密告したあの人)に、少し距離を置いたのが志貴親王。一応、川島・志貴は陵墓が推定されていて、特に志貴親王は今の皇室の直接のご先祖だから、そうなんでしょう。

一方、キトラ古墳の近辺には、渡来人の住んだあたりもありまして。じゃあ、渡来系の貴人でもおかしくないわけよ。特に新羅に滅ぼされた、百済の王族でも驚かない。持統天皇時代には「百済王(くだらのこにきし)」という氏姓を与えられたくらいなんだもの。京都の人なら馴染みがあるかも。桓武天皇時代の女官として「百済王明信(くだらのこにしきみょうしん)」という人が時代祭に出てきますね。あの一族です。⇒時代祭

ねえ、中国式に墓誌を入れて欲しいわよね。日本は墓誌を作らなかったからさあ。古墳時代もまた漢字の受容の前のやり方で葬送を行ってたのかしら。

高松塚もまた盗掘されているのですが、盗掘に関しては、ググってたら古い論文に当たりまして、私のジャンルではないからこの論文がどういう扱いになってるのかはわからんのですけれどもね。結構面白かったのでどうぞ。

古代末・中世における陵墓の発掘とその背景 藤井 直(1979年11月)

呪いとかそういう話じゃないから。安心して。鎌倉時代の盗掘者はたった400年前の墓が「誰の」ものかを知ってて、意図をしているのではないか、という話。

高松塚壁画館よりも、飛鳥資料室をお勧めするよ

壁画館がありまして、そこは特に行かなくてもいいです。レプリカなのに写真撮影不可ですし。。。300円かかりますし。

高松塚壁画館

実は、橿原市の宿泊者クーポンの中にこの高松塚が入ってるので、無料で入りましたけれど。ありがとう、橿原市。

がっつりと、壁画の取り出し特集に、副葬品の本物があるのは奈文研の飛鳥資料館なんですよ。こっちがお勧め。

https://www.nabunken.go.jp/asuka/annai/room1.html

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