橿原:橿原神宮 [2020年10月 Go To奈良] | 姉御の一人旅ガイド
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橿原:橿原神宮 [2020年10月 Go To奈良]

旅行する場合には、自分が無症状感染者であるという前提で行動するべきかな。撒き散らさない・感染しないようにする努力を続けて自分を、そして誰かを守りましょ。

こちらもどうぞ⇒新しい時代の、持ち物リスト

今井町で思わず時間をくってしまい。⇒今井町

じゃあ、行くつもりではあった橿原神宮に先に行きますかね、ということで、電車移動して橿原神宮へ。

白状すると、橿原神宮本体よりも、駅の構内に踏切がある橿原神宮前駅の構造の方が私にとっては面白いわよ。

橿原神宮前

だって、橿原神宮って私にはアメリカの福音派の教会の日曜学校くらいのありがたみしかないもん。姉さん、日曜学校に行ったことがあるんだぜ。すげーだろ。

鳥居がドーン。この新しい感じの鳥居が全てを物語ってると思わない?

橿原神宮 鳥居

まだわかんないか。よーく見ると御鎮座百ナントカ年って書いてあるのわからない?

この奈良の地ですよ。奈良の神社で100年?1000年の間違いじゃない?って思わなきゃ。

橿原神宮は明治23年創建なんだもの。へ?って思おう。

橿原神宮は、奈良県では初詣に春日大社と並んで人が集まる神社さんだそうで、確かに境内がひろおおおおおおい神社さんです。ただ、春日大社のような古くからある神社ではないということですよ。⇒春日大社

橿原神宮 広い

明治維新の後でしょうねえ、「万世一系の天皇家」「現人神」の伝説を強化したくなると、初代天皇・神武天皇と皇后を祀る大規模な神社が必要だったんだなあ。それがこの橿原神宮です。

なぜこの橿原かというと、神武天皇が橿原宮で即位を行なった日が今でも「建国記念日」ですし。「皇紀何年」って聞いたことはないかい。あれはここを起点にしてるんですわよ。

橿原神宮 本殿への門

そういう目的があって、明治に創建された神社なんだね。

新しく創建された神社だから偽神である、とかそういう狂った話をしているのではないんだ。

明治の人たちの思考って興味深いなあという話をしている。

神話を作り直す作業は、壬申の乱の後の天武・持統夫妻もそういう感じだもの。伊勢に娘を送って斎宮を制度化したり。天武・持統の孫娘にあたる元正天皇の頃に「日本書記」が成立しているけれど、現代語訳でいいから読めばわかる。最終巻持統天皇の巻が「皇子大津」みたいな調子でちょっと違います。皇極天皇の巻は事件が続発するんだけど、事件の前には戯れ歌があって、実に小説的。書き手が違うのではなかろうかと素人さんは思うわけです。天武天皇の頃から歴代ずっと書きためていって完成したのが元正天皇時代かなって。

常々申し上げてるのですが、白村江の戦い(663年)から壬申の乱(672年)までが、黒船来航(1853年)から大政奉還(1867年)の幕末の動乱期の感覚に近くて、天武天皇の即位(673年)から大宝律令(701年)までは、大政奉還(1867年)から、大日本国憲法公布(1889年)までの感覚に近かったのではなかろうかと想像してる。

あ、姉さんの妄想だからね、要注意だよ❤️

いずれにせよ、どちらも作り直す必要があった時代ですよね。天武天皇の即位以降に作り直すもののなかに「神話」があったんじゃないの?大政奉還後もよく似たことをしたねえということだ。

しかしながら、橿原神宮の本殿、これはすごいんだ。国家が、それも「古いものをたくさん持ってる」人がドライブする国家の本気を見よ。

橿原神宮 本殿

我々、パンピーは手前でストップ!

このすごさは、なんたって、橿原神宮の本殿は京都御所の賢所を移築してるんだから。⇒京都御所 今の京都御所が偽物とかそういう話ではない。我が国では古来からこういうケースは何度もあります。

例えば、平安京遷都後に、平城宮の建物を唐招提寺に移築しましたし。⇒唐招提寺 それこそ、その前には御所の建物を江戸時代に建て直すときに、秀吉時代の建物を仁和寺に持って行ったこともありますし。⇒仁和寺

橿原市/橿原神宮

そしてもう一つ。奈良は古代から開けたエリアなわけですよ。そこに、新たにこれだけ大きなエリアを確保するということは、誰かを立ち退かせたことが推測できるよね。平城宮跡は一つずつ買い取って行った ⇒平城宮跡。 天香久山の近くの藤原宮跡は田畑に囲まれていて、ここも多分田畑だったんだなと思われる ⇒藤原宮跡。 じゃあ、橿原神宮は?気になった人は、橿原神宮・神武天皇陵・畝傍山についてググってみよう。

そして、それは善か悪か、そういう単純な話ではない。被差別部落の環境改善の面もあったでしょう。同時に人さまを「穢れ」としたり聖域()から立ち退かせるなんて人権もクソもないじゃないですか。そういう話を始めると「姉御の一人旅ガイド」の守備を超えちゃう。しかしながら、その土地を旅行するということは、本来そういうことでもあるはずではあるんだけどね。

写真にはところどころ「山」が見えててたんですけど、あれ、畝傍山です。

近くには池があって、令和の時代には、このエリアは市民の憩いの場でもあるようです。

橿原神宮 池

場所の使われ方って変わるのよね、という話。

あ、橿原市のクーポンで宝物殿に入ろうと思ったんだけど、この日はやってたのかしら。

橿原神宮 宝物殿

入り口がわかんなかったんだよー。

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