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仁和寺で金堂の裏も見てきた [2018年10月 京都・奈良巡礼の旅]

嵐電の「御室仁和寺」駅で降りて歩いていると、住宅地の中にどーん。

仁和寺へ

仁和寺の仁王門です。

仁和寺というと、もう、高校古文まできっちりとやってりゃおなじみ、徒然草よ。

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仁和寺の法師、これもまた仁和寺の法師、って人を小馬鹿にする。箸が転がってもおかしい中学生・高校生時代には「にんなじ」って聞くだけで吹き出した。

そんな仁和寺ですが、ここは実に由緒正しい。だって「君がため春の野に出て若菜摘む」光孝天皇が発願、息子の宇多天皇の時代に完成。だから、光孝天皇の時代だった「仁和」が寺の名前になる。

さらに宇多さん、ここ仁和寺で落飾。出家して法皇(初代)を称してここに住んだし、仁和寺の上の方に宇多さんのお墓(と宮内庁が決めた)がある。代々門跡は皇室から来てた(中には法助のように藤原から来ている人もいるが、この人は開田准后つまり三后に準ずる人)。

母(奈良は第二の故郷)には「仁和寺って吉田兼好の言うような笑える寺じゃないよ!」といい歳をして恥をかきかねない娘を心配されたんだけど、やっぱり仁和寺は仁和寺でした。いい意味で期待を裏切らない。良い寺だ。

だって、チケット売り場からしてこうですよ?

仁和寺 兼好

あんなに小馬鹿にされたのに「徒然草ゆかりの」って書いちゃうんだもの。自分から。太っ腹やなあ。確かにあのおかげでちゃんとお勉強している中学生高校生(元中学生元高校生)はみーんな知ってるものね。

ここはすごく並んだんですが、庭だけという人、ぜーんぶ見たい人といるから仕方がない。

庭園

寝殿に上がって、五重塔を見たこの景色が、仁和寺で撮れた一番きれいな絵だと思う。

仁和寺 庭と五重塔

寝殿も、黒書院白書院は内部の撮影も可能です。理由は明治期の建物だからなんでしょう。

宇多さんだの、性助法親王が見た景色ではないだろうけど、王朝の香りの漂う建築群でした。

その前に、京都迎賓館に入って、廊下がみすぼらしくない?と思ったんだけどね。ここは違う。

仁和寺 廊下

こうでなくっちゃ。

霊宝館で「とはずがたり」

今回はちょうど、秋季名宝展で、宇多さん。宇多さん当時の仏像が出ていたり。

仁和寺に伝わる孔雀経法にまつわる展示がありました。理解できたとは言わない。そもそも、そこの素養は私にはないから。

年表を見ていると、宇多さんですよね。道長正室倫子が、と来てかなり早いところで「性助法親王が蒙古調伏のため孔雀経法を仁和寺大聖院に修する。」って出て来て、もうブッハー。

仁和寺の歴史

私は「とはずがたり」という、鎌倉時代に後深草上皇に仕えた女房の「二条」という人の日記が出てくるわけです。これが今回の「巡礼」の裏テーマですから。

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時代はまさに元寇の時代。なぜかこの話、元寇の話題はないんですけど、ちょうどその頃の話です。元寇をカットしたのは多分「雅じゃないから」、という作者の美意識だと思うのね。(ただし、この作者の二条たんには露悪趣味があります)

この二巻目・三巻目に「有明の月」という非常に高位の阿闍梨との話が出てきて、これは例の仁和寺の門跡の開田准后法助もしくはその次の門跡だった性助法親王と推測されています。読んで受ける印象がそれなりに若そうだし、(上皇とはいえ、どうも軽んじられていた)御所さまが、何か加持祈祷しなければならないときにはすぐに呼び出すような人なので、異母弟の性助法親王じゃないかなって思う。

「有明の月」もまた、二条たんを愛人にしてしまうのですが、他の男たちとは異なり、よくいえば一途、悪くいえばストーカーでして、あまり良い返事をしない二条たんに起請文を送りつけて、二条たんが鼻血を出してぶっ倒れる事件までおこしています。あな恐ろしや。

「私は幼い頃から仏に仕えて女色を絶ってきたが、(あなたを抱いたことにより)これを犯したので私が地獄に落ちるのは必須である」みたいな、恐ろしげなラブレターを高僧、それも上位中の上位の人。仮に性助法親王なら、蒙古調伏のための祈祷を行っちゃうような人。しかも(たまたまだろうが)風が吹いて蒙古は敗北。そんな人に恐ろしいラブレターをもらったら、倒れますよね。今なら接近禁止命令が出る。

そして、この仁和寺、代々愛染明王も大切にしておられてね。

「有明の月」は、さぞ苦しいことだっただろうなあ。恋した相手があの二条たんだもの。愛染明王に自分の苦しみの解放を、そして二条への呪詛と幸福を祈っただろう。それはこの愛染明王像かしら、なんて思いながら見てた。その祈りは「有明の月」の急逝と二条たんが御所を追われることで実現した。

二条・有明の月・後深草上皇(一番の変態。本当に安定している)の関係は、私には理解しがたいのですが、それでも面白いんですよ。

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なお、私は一番の常識人の西園寺実兼派。この人の話は金閣寺で。本当だよ?金閣寺は実兼ゆかりの地。二条たんも行ってる。

仮に「とはずがたり」が大ブームになったとしてら、仁和寺では「とはずがたり」ゆかりの、って看板に書けるかしら・・・ってくらいのストーリーなので、ご注意を。

御影堂・鐘楼・五重塔・経堂

仁和寺に話は戻るけれど、弘法大師や宇多さんを祀った御影堂も中は見られなかったけれど、外からは見た。(建物は江戸時代のもの。元は京都御所の清涼殿)

鐘楼はすごく美しい。
仁和寺 赤い何か
お寺というより、神社のイメージに近かったけど。

五重塔も、ここは中を開いてくれなかったけれど、その分人はあまり近くに来ないので、じっくりとまわることができた。
仁和寺 五重塔 見上げる

経堂は、金堂で圧倒された後なので、おっきなおっきな、円柱にたくさん箱がついてるんだなってだけになってしまった。

経蔵

金堂。この裏を見ることができた

仁和寺の金堂は、桃山時代に作られた京都御所の紫宸殿を江戸時代に移築したものです。

仁和寺 金堂

なので、宇多さんはおろか、鎌倉時代の「有明の月」も見ていない。二条たんがいくら後深草上皇にいろんなところに連れ回されたとは言っても、そもそも江戸時代にできたものを鎌倉時代に見ろというわけにはいかない。

けれども、桃山時代の紫宸殿なので、信長は見てないが、秀吉はこれの原型を見ているだろうな。

そんなことよりも、見て。

仁和寺 屋根の上

鬼瓦の上に誰か乗ってるよ。かわいいなあ。かわいいなあ。あなたはだあれ?太上老君?

紫宸殿は茅葺だったので、この飾りは仁和寺に来てからのものでしょう。

金堂に入るとお坊さんから解説があります。それなりに高位の方なのか、空気に押されてみんな座っちゃう恐ろしさがありました。とはいえ「お時間のない方はどうぞ、先にお進みください」なので、軽く、ね。

仏像というよりも建物の解説(紫宸殿で、茅葺だったのを瓦葺きにして、さらに中を寺らしくした、など)があって、その次に、裏側を見せる理由までぶっちゃけられるんだから、びっくりした。

理由は

  • 昨年の台風で仁和寺も影響があった
  • それで修復したいが台所事情は厳しい(今年の台風の影響も非常に大きい)
  • で、これまで見せてなかったものをお見せすれば良いのではないか
  • 同時に、今年は門跡が五十一世に変わったので、それを記念して、51日間ほど金堂の裏をお見せすることにした

だそうです。それをあけっぴろげにしちゃう、懐の広さよ。ただし吉田兼好なら意地悪く書くよね「またまた仁和寺の法師、嵐にて受けた被害を修復せんと、人々に宝物をば見せて銭を得んとしけり」みたいな。

私としては隠してきたものを見せてもらえると大変嬉しいのだけど、文化財の保護という点ではどうしても美術館博物館の保存するための環境でなければ、これがまた劣化してしまうので難しいところですよね。

さて、お話を伺って裏側に回ります。こちらには若いお坊さんが、控えておられて、一つずつ解説してくださる。流石に誰も座らなかった。

「金堂の裏」というのは、本来は物置として使っているので、光が入らない。だからこそ、鮮やかに色が残り、372年ぶりに光(とはいっても、このために引いたLEDの間接照明)を当てるのだということです。

これが本当に。色を塗ってあるというのもあるけど、仁和寺の、明治時代の黒書院・白書院の襖絵よりも、はるかに鮮やかで、「さっき描きました」というふうでした。

劣化させるのは、光なんだよね、光。

もちろん、ガラス越しでもなんでもなく。

今回国宝・重要文化財の仏像を本当にたくさん見たのだけど、どなたもやはりお寺にあってこそのありがたさなのだとつくづく思うんです。この金堂の裏で御本尊をお守りする五大明王も、保存したいならば、剥がして、もしくは壁になっている木の板ごと博物館に持っていくのが一番だと思います。

ただ、単純に、「宗教施設にある宗教画」を離れて、純粋に絵としてはどうなんでしょうね。それはわからんなあ。でも、ここにおられるからこその、美しさ。

邪念も火に・・・焼かれなかったけど、すごかったのだ。

800円で見られるなんて、実質無料。

御殿:500円、霊宝館:500円、金堂特別拝観:800円、御朱印300円。

宇多天皇陵を諦める

仁和寺を出た後、宇多天皇陵までハイキングしようと思ってたんだけど、すでに15時近く、いくら天気の良い日だと言っても、冬至の前のこの時期は15時で影が伸びる。ビュンビュン車が側を走るのも怖くて諦めました。夏なら「これから涼しくなるからいっか」で登ったかもしれない。

宇多さんは高校レベルの日本史的には地味さなんだろうけど、王朝文化の礎を築いたのは結局この人なんじゃないかと思う。

遣唐使の廃止とリンクで覚えるのは菅原道真だけど、これは宇多天皇在位中の事件です。

息子の醍醐天皇が古今和歌集を編纂させるけれど、延喜五年。古今集は古歌も入れますが、スターはやはり紀貫之・在原業平・伊勢・小野小町。紀貫之・伊勢は宇多時代からの人だし、伊勢なんてまさしく宇多の御息所だった人だもの。

時代は下って、花山法皇みたいに出家の身でありながら女の人に手を出す法皇がいますけど、初代法皇の宇多からしてそうなんだからどうしようもない。息子の醍醐に入内予定だった女の子を自分のものにしてるのよ。あなたは玄宗皇帝ですか。宇多は道真左遷時に醍醐天皇に介入しようとしたし、院政の萌芽はすでに宇多にあった。

和歌と信仰と、(現代から見たら)乱倫が平安時代の特徴のように思うようになったのは、鎌倉時代の「王朝懐かしや」というような「とはずがたり」のせいなんだけど、まさしくそれこそ、宇多さん。

なお、宇多天皇陵へのハイキングは、一条天皇陵も含めるおっそろしいコースもあるから。
龍安寺の秘境!衣笠山を登る(お墨付き!)

往復&ロケーション

行きは嵐電で御室仁和寺駅から。

帰りはきぬかけの道を歩いて、龍安寺へ徒歩。
きぬかけの道

実は、仁王門側の入り口はこんな感じで並んでいました。

仁和寺の受付

それに対して東門はというとこうなの。

仁和寺 裏口

たまたまだったのかもしれないけれどね。(なお、この私が撮影しているところの背後に「御室会館」があって、1階にある「梵」でお食事・喫茶を利用すると、今回の五大明王記念の「黒猫のおしるし」(300円)をいただけるということだったのだけどね。この時間はもう喫茶だけだったようで、食事ができないのかあ、とパスしました。)

ちょいちょい商売っ気の強いお寺さんですが、そりゃ、この規模、このクラスのものを維持するにはお金がかかるわけだもの。仕方がない。

仁和寺

  1. 北野天満宮でもみじ苑のお散歩
  2. 仁和寺で金堂の裏も見てきた
  3. 龍安寺 静謐さが似合うはずなんだが、仕方ないね

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