今回の目的地の一つ。聖ポール大聖堂。セントポール、と英語で言っちゃうけど、聖パウロ、の方がより正確であろうかなと。
ここも世界遺産がぎゅっと詰まってるところでもあるけれど、モンテの砦・ナーチャ&城壁は別に書いてる。
聖ポール天主堂跡(大三巴牌坊、Ruínas da Antiga Catedral de São Paulo)
ここは2008年に行こうって言ったけれど、一緒に行った人が「あんた、暑すぎて溶けてるでしょ。高いところにあるよ。歩くよ。登るよ」と脅されて行かなかった。
確かに。
階段を昇るよね。右側(モンテ側)に坂が作ってあるけどねえ。
現在のマカオのカテドラル(大聖堂=主教のいる教会)はすごく小さいんですね。⇒聖ドミニコ教会・カテドラル
しかし、本来マカオの大聖堂=天主堂はこの、高いところにあった。凝った彫刻のファサードだけが残っているんだけど、残っていたら、(カトリックにしては、オーストリアの教会と比べるとかなり地味に感じる)マカオのキリスト教会の中でも、ものすごく派手であっただっただろうと思う。
裏側から登れるという話だけど、2019年11月は登れないようになってました。
左側にぬぼっと現れるグランドリスボア。右側の瓦は、ナーチャ廟(これまた世界遺産)。
遺構
発掘した遺構も見られるようになってる。
こっちの、大聖堂だった部分の下は一部ガラスかアクリルで見られるようになってます。
モンテ側にも何か遺構がある。写真に撮ってるけれども、あれっすよ。人が多すぎて処理するのが面倒なんでアップしない件。
天主堂芸術博物館
ナーチャに接近している、この入り口が天主堂芸術博物館だったと思う。もう一つ、地下納骨堂もありますが、納骨堂の方には行かなかった。
実は、この残っているファサードは、1620年から1627年に日本人キリシタンが制作に加わってるんですよ。天主堂芸術博物館には彼らのこともあった。
1587年に豊臣秀吉によるバテレン追放令から始まり、江戸時代に入っても1612年の幕領における禁教令、1614年にはキリシタンが国外追放されています。1633年の第一次鎖国令と、そういう時代です。
あの時代の、マカオを含めた東南アジア諸国を見ても、キリスト教禁教令と鎖国政策はベストチョイスではなくても、取り得た選択肢の中ではベターではあっただろうと思うのね。ただし、殉教するか、改修するか、国を出ていくかを迫られた個々人を思えばお気の毒なことだった。よそ様の国にまで布教しに来た宣教師にはそれは仕方がないよね、としか言いようがないけれど。マカオまで来た、来ざるを得なかった日本人キリシタンに幸あれ。
モンテの砲台にも登ろう
簡単な登り方はモンテの砲台の記事に書くけれども、私は足で登ったの。運動不足&高いところ苦手な私には結構きつい。
これよこれ。
この、残ってるファサードの薄っぺらさ!台風と火事で崩壊したのが1835年。これだけが今の今まで残ってたのは奇跡かな。隣に香港という国際貿易港ができてマカオの地位が相対的に下がった、それがこれを残してくれたのかもしれない。
日本のキリスト教禁教令が、結果的にこの大聖堂のファサードを作ったように。
マカオの地位低下がこのファサードの残骸を残したのかな。
全ては塞翁が馬。
