西安:前漢長安城未央宮遺跡 [世界遺産][2025年10月 西安旅行]

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劉邦の即位後、新たに都を作ろうと蕭何が言うのだけど、それがこの未央宮。

前漢長安城未央宮遺跡は、シルクロード:長安-天山回廊の交易路網 として世界遺産に登録されています。漢長安城未央宮国家考古遺址公園として整備されています。

未央宮 wèi yāng gōng

汉长安城未央宫国家考古遗址公园

南方にある、西安門の広場が一番行きやすそうだったので行きました。地下鉄とバスで。高徳で探した。ホテルの前の道をそのまま西へ行けば行けるんだけどね…週末だけど、ぎゅうぎゅうになってる西へ向かうマイクロバスみたいなのを見て、怯えて。漢城路駅まで地下鉄にしました。西安滞在中は、マイクロバスみたいなのには結局乗らなかったよ。

未央宮

ここもまた、ネット上で中国人はあんまり興味を示さないところの一つだなあ。どーもあの人たち「広すぎる」「何もない」「有料」「ライトアップしない」というのが行く必要がないところ扱いみたいで…俺さまみたいにライトアップされると興醒めだなと思う人の方が少ないんでしょうか。

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私は比較的羽田空港を使います。

そのまま地元に、地元から乗り継げるとは限らないので前後泊することが多いです。問題は前泊ですね。東京の交通は荷物を持っている人に過酷ですし。そんなことを書いています。⇒羽田空港近辺で前後泊するならば。どのように考えて選んでいるのか

結論を先に出してしまうと、身も蓋もないけれども、国際線に乗るための前泊ならば、やはりロイヤルパーク。⇒ザ ロイヤルパークホテル 羽田に前泊しました

——————————引き続き「姉御の一人旅ガイド」をお楽しみください。

未央宮とは

日本では「後漢書」のタイトルからなんでしょうか。「前漢」「後漢」と言うけれど、中国では西側の長安(西安)と東側の洛陽を見るんでしょうね。西漢・東漢と言う。西漢です。

高祖劉邦は、秦の興楽宮由来の長楽宮に入っていたけれど、蕭何が未央宮の造営を始める。実際に未央宮を使ったのは恵帝から平帝まで。長楽宮もまた未央宮国家考古遺址公園の敷地の中にあるよ。

王莽のときに廃され、後漢末に修復?……董卓が洛陽を焼いて長安に遷都するけどそのときってコト……?少年時代の献帝!?ふぉおおおおおおおお高まる!!!

董卓、未央宮の城門で討たれてるの!!!どこの!?

現代では人民の公園

電動車が置いてあるからぐるっと回りたいのだが…どうも?これは自分で運転するやつ???みたいな。無理無理。疲れると浮遊性めまいがでる鎮痛剤を飲んでる人が運転してはいけません。実際、確かにクラクラしてたし。小さいカートが縁石?に乗り上げてひっくり返りかけてるのも見た。無理ー。

そこに係がいるわけでなし。どうすりゃええの…と思い、まあ、遺跡の方に行くわけね。

お堀は結構な広さ。

未央宮

奥に見えるのは西安市の「郊外の再開発地区」でしょうかね。

未央宮

唐の大明宮の門ほどではないようですが、それでも前漢ですからね。

門かーと思いながら、今度は「金印」を思い出すわけ。あれ、いや、あれは後漢の光武帝だ。光武帝は長安を捨てて、はじめから洛陽だったみたいだから、奴国の使者はここには来てないだろうなあ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/光武帝

https://ja.wikipedia.org/wiki/漢委奴国王印

その先は長いのよ。

未央宮

こういうところで、人民がピクニックしてる感じ。俺さまも石に座って持ってきたカロリーメイトを食べた。(西安は辛いから。下手にお昼を食べて辛くてお腹が…になるよりは、なので。カロリーメイトなどを持ち込んでいて、お昼はそれを食べてたの)

考えていることは、たぶん多くの人民とは異なり。「そっかー、ここで董卓は呂布ちゃんに殺されたのかあ……」みたいな。

後漢でも長安城は首都ではなくなるけど完全に打ち捨てられるわけではない。末期に董卓は洛陽を焼いて献帝を連れて長安に移るんだもの。いくら宮城内だとしても献帝が一人でちょろちょろできたとは思わないけど、未央宮の主人は一応あの人や。後の魏(三国)でも長安城は要塞のように使われるわけよ。諸葛亮を五丈原で迎え撃つために司馬懿が派遣されるでしょ。前線に出てる(五丈原は結構遠いのよ)けれど、司馬懿もこのあたりを通ったこともあるのかしらね。

西晋までは前漢の長安城を使った模様で。その後の南北朝期に長安城の中でも宮城が移動された(ということは、それまでは未央宮を使ったということかしらね)、そして隋の大興城に。というのはこっちで読んだ↓

報告1 秦漢都城の時代性―漢長安城を中心に― 劉振東

でさ、「天子は北に座して南に面する」じゃないですか。唐の長安城でも北側に皇帝は住んでる。ただし、元の隋の大興城では皇宮(唐の太極宮)は北側にあって、左右対称になってる。唐はその左右対称性を崩していく。

しかし、漢の長安城の未央宮は、長安城の南西部に作ってあるんです。これが蕭何のデザイン。そして、未央宮の北側に後宮があった模様。

前殿遺跡は結構真ん中辺にあってねえ…遠い…

やはり未央宮の中では「天子は北に座して南に面する」なんだろうな。未央宮の中の領域的な話はこの論文で読んだ↓

学習院リポジトリ 漢長安城未央宮の禁中 : その領域的考察 青木俊介

その先、少し進んだところで…

未央宮

城壁です。

実は来るときにバス待ちをしたのだけど、そのときに未央宮方面へ行くバス(最寄りではなかった)が、なんと「阿房宮」の文字が……行くしかないね。と思ってたので、次に行かないと。特に博物館などがあるわけでもなく、ああ、この場所だったのね、というところで満足した。

阿房宮への道すがら。

なのでそのバスのバス停まで歩くんだけど、歩きにくい歩きにくい。自転車では押すことになるわね。で、その道すがら。地図で見つけてたんだけど、どんなもんじゃ?と思ってた「カールトンホテル」、じゃないんだろうな。KRDだから、カールドンホテルなんでしょう…

カールトン

お、おう。

 

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