今回のマカオ旅行の目的地の1つ、タイパ ビレッジ。英語式に、Taipa Village と言っちゃうけど、ポルトガルの植民地だったところだから、 Vila da Taipaと言うべきかな。
道を渡り損ねたというか、なんというか、一番初めのルートを間違えたために、効率的でもなければ、行くつもりだった龍環葡韻住宅式博物館に行けなかった(すっかり忘れた)んだけど、Google Mapsも開かずに歩いた行き当たりばったりで、それなりに面白く歩けるところでした。
そもそも、タイパ ビレッジってどこにあるの?
「タイパ 」そのものが「氹仔」と書きます。どうみても水辺だろって思ったでしょう。
元は氹仔島。実は、マカオは北からマカオ半島、タイパ島、コロアネ島で構成されていました。コロアネ島とタイパ島の間は埋め立てられて、埋立地「コタイ(路氹)」とともに一体化しています。マカオ半島との間はそれなりに広く、いずれ埋め立てられるのかもしれませんが、もう少し先の話だろうかな。
なお、私が初めてヴェネチアンに行った2008年はすでに埋め立てられていて、交通の便がとにかく悪いという世界だったけれど。10年も経てば、ハリボテシティと私が友達と笑った埋立地も、それなりにサマになり。キラッキラのバブリー感と、観光客の求める愛想の良さとホスピタリティで、かなり快適に過ごせるところになりました。
そういう、キラッキラのバブリーカジノホテルの一つが、ギャラクシー。
道を挟んで、ここの右がタイパ ビレッジの入り口、氹仔牌坊。
この、今はライトレールが上を走っているここが元の海岸線だったのかな、と思うほど、世界がガラッと変わってしまう。それもまた、「マカオ」という都市らしく、私はinterestingとしか言えなかったわけだ。
元々の計画
元の計画はこんな感じ。
ヴェネチアンの前の道を渡って(人民解放軍の脇の公園を通って)タイパ ビレッジのエリアに入り、
①龍環葡韻住宅式博物館(タイパ 住宅博物館)のエリアへ
②教会
③官也街
④歴史館
で、ギャラクシーの前から出る。
実際には
どうなったかというと。
なんか面白くなってヴェネチアンの脇から入らず、ギャラクシーの前に行っちゃったんだなあ。
逆回りしても良いわけよ。
歴史館に。
⇒タイパ ・コロアネ歴史館
ドリアン好きとしては食べて買ったよ、ドリアンアイスクリーム。しかしながら、お腹がぱつんぱつんでな。
教会へ。
⇒嘉模聖母教堂と坂道と
ところが、タイパ 住宅博物館には行き損ねた。
地図も開かずにぶらぶらして、足の向くまま歩いただけだから構わないってやつよ。
タイパ ビレッジ、ぶらぶら
夜になるとまた変わるんだろうけど、午前中のタイパ ビレッジを見てくれよ。
飲食店ばっかり軒を連ねる。
日本でもそうなんだけど、商店街が飲食店ばかりになると、そこはすでに生活者のエリアではなくなってるんだよね。
2019年的にはすでにタイパ ビレッジは「観光地」というよりも、Tourist Areaということ。韓国のプロバンス村のような作り物感はないけれど、街の呼吸というようなものはあまり感じない。
ピンクの壁がかわいい連理街。
ポルトガル料理のお店らしい。けれども、まだやってないんだなあ。
ぶらぶらしていると、こんなエリア。
下がモザイクタイルになってなかったら、広州の租界っぽくない?⇒沙面で中国人の生き様に思いを馳せる
天気がぱきっとしたら、絶対とてもかわいいんだろうなあと思う。カラフル。
なんとなく、香港仔(アバディーン)っぽいなあなんて思ったけど、そんなにアバディーンっぽくもないかな。
かと思ったら、今度は北帝廟。
写真にはあまり出すべきではなかろうと思われるものが写っていたから出さないけれど、光緒七年の冬に修復しました、みたいに書いてあったよ。1881年。この時期はすでにポルトガルはこのエリアを拠点にしてたね。
東洋と西洋の交わるところ、と言えば綺麗に聞こえるけれども、ポルトガルの植民地だったからこそ、こういう景色になった。
上の北帝廟は実は帰りだったんだけど、ぶらぶら歩いていればこういう景色に行き当たって、ここから引き返した。
おお!生活のあるエリアはこっちですね。
私は台北のどこかかなって思ったけれど、台中っぽいねって。言われてみたらそうかも。
実は、タイパ 住宅博物館に行かなかった理由は、この段階でトイレに行きたくなってだね。朝のお茶が効いたよ。
香港もトイレがビミョーなことがあるからさ。マカオも似たようなもんだろ、と、ギャラクシーに入って清潔なトイレに入ったというわけ。そして、ギャラクシーのシャトルバスでマカオ半島へ行ったわけだ。
agoda ギャラクシー マカオ