橿原:最後に行ったのは本薬師寺(もとやくしじ)跡 [2020年10月 Go To奈良] | 姉御の一人旅ガイド
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橿原:最後に行ったのは本薬師寺(もとやくしじ)跡 [2020年10月 Go To奈良]

観光業界を守るために、国内旅行をしましょうと言われても逡巡してしまう体力の持ち主ですが、ここまで安くなると行っちゃう。⇒愛用してるJALダイナミックパッケージは航空券+ホテルの組み合わせ。旅行する場合には、自分が無症状感染者であるという前提で行動するべきかな。撒き散らさない・感染しないようにする努力を続けて自分を、そして誰かを守りましょ。

こちらもどうぞ⇒新しい時代の、持ち物リスト

桜井市の、箸墓古墳・三輪山にしようかと思ったけれど、ガッツリやりたくなるよねえ。もう、体力もないし、明日は例年圧倒されてクラクラ来ちゃう正倉院展ありますし。というわけで体力温存しながら、橿原周辺でちょろっと行けそうな感じのところはどこかしら。ということで。

本薬師寺跡に行ってみました。

天香山で観光客が入り込むべきではない地域が存在することに気づいてはいたけれど。ここは一応、ホテイアオイの時期には観光客がたくさんくるっぽいレビューがあったからいいのかなと。

本薬師寺

奈良の西ノ京の薬師寺⇒薬師寺、あれはもともとこの藤原の地にあったものが平城京遷都にあたってお引っ越ししたものです。資材は持って行かずに、新造したようですが。それ以降ここの元の場所にあった薬師寺は「本薬師寺(もとやくしじ)」と呼ばれたそうです。

薬師寺は皇后(のちの持統天皇)が病気になったときに天武天皇が作らせました。天武天皇は飛鳥に都を置きましたが、後に持統天皇は藤原京に遷都します。(飛鳥と藤原は、私が徒歩で歩ける距離よ。⇒藤原宮跡から飛鳥資料館

藤原京では畝傍山側の薬師寺、香久山側の大官大寺が重要なお寺だったようです。ただ、朱雀大路を挟んでこの薬師寺とほぼ対称なところにあるのは実は紀寺。これは紀氏の氏寺だったのかしら。

藤原京遷都は持統天皇時代のことですが、大官大寺も薬師寺もまた天武天皇の時代に建設が始まっていますし、天武天皇時代に藤原の地を選定したんだろうなあって。

「日本書紀」を読んでるとなんか見えてくるんですよ。

白村江の戦い(663年)から壬申の乱(672年)までが、黒船来航(1853年)から大政奉還(1867年)の幕末の動乱期の感覚に近くて、天武天皇の即位(673年)から大宝律令(701年)までは、大政奉還(1867年)から、大日本国憲法公布(1889年)までの感覚に近かったのではなかろうかと想像してるんだけどさ。

「律令制」を用いて「システマチックな国家」を目指していたのは、もっともっと昔だったんだろうけれど、多分上層部でなぜ律令制にしなければならないのか、という人たちがいたに違いなくて。例えば物部守屋は「排仏派」として描かれるけれど。⇒明日香村:豊浦宮跡・古宮遺跡  モーリー、本当に「仏教」だけを排除しようとしたのかしら。そうではなくて、仏教と一緒に入ってきた「律令制」という政治概念だったのではないかなあとかさ。自らの既得権益を守りたかった古くからの豪族、そして律令国家にしても損がない新興勢力との争いの象徴が物部守屋と蘇我馬子だったのかなって、妄想してた。あくまで妄想だからね。

時は下って、白村江で物質の量がまるで違う唐とダイレクトに戦って敗北して、中大兄皇子も大海人皇子もそこから学ぶのよ。中大兄皇子(天智天皇)時代は敗戦処理と防御の策を講じるので手一杯。彼、なんか過労死に見えるの。弟の天武天皇時代にようやく新しく何かができるようになるって、「律令制」に向かえるようになる。しかし、天武天皇時代はその準備で終わってしまう。

持統天皇は、新しい京、新しい帝、新しい政治制度を、孫の軽にひきついたんだね。

なんてむふむふ思ってたの。紀寺・大官大寺は藤原宮から飛鳥に行く間に遠目で見て田んぼの中だなあって感じで。こっちには礎石があるらしいので。

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——————————引き続き「姉御の一人旅ガイド」をお楽しみください。

周辺は古い農家なので、お静かに。

畝傍御陵駅から歩いたのだけど、いくら古くても築30年くらいかしらね、田んぼを埋め立てたんだろうなあという住宅街を抜けて、ふっといくら新しくても築60年?70年?100年かしら??なんて農家が並び始めます。その中にありました。

本薬師寺 周辺

ええんかな?と思いつつも。

駐車場というか、どなたかの倉庫っぽいところなんだけど一応史跡にしてあるしなあ。橿原神宮前駅だったと思うんだけど、「史跡」としてデカデカと看板に書かれてたしなあ。ということで。今、橿原・桜井・明日香が目指している、この藤原・飛鳥を世界遺産化すれば本薬師寺は入るのか、入らないのかわかんないんだけども、そっと入ってみます。

奥にはお堂があって、そこに礎石があります。この写真の左側小さなお堂があるの。お堂と隣接している建物に人の気配もありますが、完全に個人宅の庭ではないと思うんだけど。

お堂に一度お参りしてから礎石を見せていただくけど、絶叫ものよ。実際には叫ばないけれど。

本薬師寺 礎石

うわぁ。

当時のそのままの配置ではないと思いますが、すごい。

本薬師寺 礎石の一つ

どういう風に組み合わされたのかしら。

これ、西ノ京の薬師寺の金堂です。

薬師寺 金堂

そりゃこんなのを支えてたんだろうから。ねえ。

今回飛鳥に行くと、紀寺・大官大寺だけでなく、もはや存在しない大伽藍がいくつもあるわけです。飛鳥寺は、推古天皇時代の仏さまが(まるっとじゃないにせよ)残っておられるのが奇跡ですよ。⇒飛鳥寺

本薬師寺は小さいとはいえ、お堂になってて宗教的な土地として一部残ってるところがなんかいいなあと。天武天皇の愛かしら❤️

ただ、おすすめ、Must See とは言い難いのも事実です。

周辺にホテイアオイの花が咲く頃は、農村ですしきれいだと思います。行かれるのは地元の方々ではないかなあ。

我々のようなよそ者の観光客が車で行ったり、バイクの集団でブイブイと行くような場所ではないということね。あくまで、そっと。そこのところだけ注意なさって。

私は畝傍御陵前駅から歩きました。

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