藤原京から明日香へ歩きました。足が疲れたのでバスに乗って「飛鳥大仏」で降りました。
明日香村の「かめバス」は現在の地名のバス停です。見所じゃないからね。「飛鳥大仏」が「飛鳥寺」最寄です。
飛鳥寺とは
日本で最も早く仏教を受容した集団は蘇我氏。用明天皇の崩御に絡み、崇仏派の蘇我馬子・厩戸皇子らと廃仏派の物部守屋らが対立して、守屋側が破れるのが丁未の乱。
その後に蘇我馬子が建設した、日本最初の本格的な仏教寺院が元興寺=法興寺=飛鳥寺です。
ただ、平城京遷都の後に、飛鳥寺の本体は平城京に移転しています。「元興寺」と呼ばれてるお寺です。元興寺には、この明日香の飛鳥寺の建物に使われた瓦が一部残っています。⇒元興寺で飛鳥時代の瓦を見る
本体が移転した後の、この飛鳥のお寺は「本元興寺」として伽藍が残っていたようです。しかしながらすでに焼失していて、今の建物は江戸時代のものです。
これが今のお堂です。裏かな。平城京の元興寺の屋根です。右側のモザイクになってるところが飛鳥時代の、飛鳥寺から持ってきたもの。
行基葺の、丸瓦が特徴的な屋根ですが、この江戸時代の建物の屋根にも反映されてないわけではない感じ?
しかしながら、ここの御本尊は推古天皇時代のもので鞍作鳥(止利仏師)作。もちろん日本最古です。国宝じゃないのはなんでだろうか。私には渡来仏系のお顔に見えたけれど、そりゃ日本最古なんだからそうなりましょうか。そういや、法隆寺の金堂釈迦三尊像も同じようなお顔つきですが、そりゃ、作者は止利仏師だものね。と考えるけど、もう少しよく考えてみよう。この御本尊は、一体まるっと推古時代のものではないんですよ。推古時代のパーツはあるけれど、補完していってる。止利仏師だからって法隆寺の金堂釈迦三尊像に似せたんじゃないかなあ。(想像だぜ)
撮影禁止のマークがなかったので撮影可能だったのかな。私は撮影してないけど。
拝観料は、大人350円
蘇我入鹿の首塚
この飛鳥寺の裏に石塔があります。石塔の向こうの木々は、甘樫丘。
これが、蘇我入鹿の首塚と言われてる。いろんなところにある誰かの首塚の類は眉唾物だと思うの。でも、ここはもともとは蘇我氏の氏寺だったからありうる話だとは思う。今でも花が備えてあるのよ。
そうなのよ。飛鳥寺は蘇我氏滅亡ののちも、残っていたわけ。そして平城京の元興寺に。なぜに、中大兄皇子は滅した蘇我氏の氏寺を残したどころか、官寺として保護したのだろうか。そんなに仏教を信仰していたのかしら。
飛鳥寺西門跡
飛鳥寺と、首塚の間に少し広場があるんですね。ここが西門跡。
そうか。。。蘇我馬子の寺に陣を構えて乙巳の変か。蘇我氏の氏寺を取られたところで、蝦夷・入鹿の敗北は決まってたのかしらね。
バイクの人たちがいなければ、悪くない絵だったんだけどな、彼ら動く気配なし。さらに飛鳥寺のだいこくさんかなあ。首塚の花を替えられる方が来られたり。天候含め、自分の思うような風景を撮影するのはなかなか難しい話ですわね。顔も出てないし、バイカーとして特徴的な格好をされてるわけでもないので、構わないかなと思って黒塗りしてない。隠すと今度は建物が微妙に隠れちゃうからなあ。
明日香村埋蔵文化財展示室
現代の飛鳥寺からは少し離れるけれど、埋蔵文化財展示室の前に。
飛鳥寺の講堂の礎石が置いてあります。こちらもどうぞ。
どこを拠点にすると、飛鳥大仏の周辺を効率的に観光できる?
一応、飛鳥寺のところにも、有料駐車場めいたところはあります。ただ、数も限られてますしね。
自動車を安全に駐車できるのは、近くの万葉文化館だと思うのね。駐車料金は知りませんし、万葉文化館が閉じたあとまで駐車し続けられるわけでもないと思います。
この、万葉文化館の周囲に酒船石・亀形石造物があるし、飛鳥寺から、飛鳥水落遺跡・甘樫丘は徒歩で行ける範囲です。
人が多すぎて撮影してないのだけど、この飛鳥寺の前で、明日香レンタサイクルが乗り捨て可能なようにも見えた記憶がある。実際にそのようにする計画があるなら、明日香レンタサイクルにご相談を。