宇治神社からすぐのところに、神社の船着場があります。⇒宇治:宇治上神社&宇治神社 八の宮の屋敷(大君・中君が住んでいた)が宇治上神社、宇治神社周辺ということになってるのね。
匂宮は薫の別荘からさらった浮舟を小舟に乗せて、ここに着いたのか。それとも、ここから対岸についたのか。妻の中の君が相続しただろう、故八の宮の屋敷に連れて行ったと考えれば、ここに着いたのかしら。
しかしこの薫・匂宮・大君・中君・浮舟の関係は、薫や匂宮が光源氏と比較しても小ぶりなだけに、光源氏と女君たち以上に生々しい。
宇治十帖は紫式部が書いたのか、あまりに暗くないかと思うけれど、紫の上という「だれかの身代わりにされた人」の悲劇と復讐が光源氏の物語の最後だとすると、宇治は浮舟という「だれかの身代わりにされた人」の救済だと思えば繋がってた。(紫の上は藤壺の身代わりにされ、浮舟は大君の身代わりにされた)
宇治川の上にかかるこの橋の上があの世とこの世。男女の行き交う道。
浮舟が身を投げた宇治川は、確かに流れが速かった。
確かに「世をうぢ山と人は言うなり」と言うのがよくわかる雰囲気があります。
「うぢ山」と言いながらも、現代ではきっちり整備してあるので、田舎の河畔の、自然むき出しの恐ろしい感じとは程遠いです。葛がないじゃん?田舎の河畔なんてね、一人で歩くには程遠いところはたくさんありますから。
さて、ここからすぐのところに平等院があります。⇒宇治:平等院鳳凰堂。創建当時は豪華絢爛極まりなかっただろうな