文学少女が京都を歩けば、紫式部ゆかりの地に行きたくなる。
さて、今日は京都御苑の日でした。ここはねえ、細かな砂利なので歩きにくい歩きにくい歩きにくい。足が痛くなっちゃって、本当は南下して、藤原忠平の小一条院趾まで忠平をストーキングするつもり満々だったんだけど、疲れちゃって、仙洞御所から梨木神社の近くの、清和院御門から抜けて、盧山寺に。
実はこの日を過ごした仙洞御所から大宮御所、そして京都迎賓館のあたり、じ・つ・は。藤原道長の土御門殿趾なんです。
その真裏にあるこの盧山寺はじ・つ・は紫式部邸の趾。
庭(源氏庭)以外の撮影は禁止でしたが、紫式部の家系図と盧山寺の関係があったんですね。メモってないんだけど、「大弐三位のおかげでそのまま残ったのかー」って思った記憶がある。
土御門殿は、元は源倫子の父が道長を倫子に婿とって住まわせたところを元に拡張してるんです。紫式部にとって倫子は遠縁(貴族はみんなそうだな)というだけではなくて、「近所のお姉さん」。
妃がねと育てられた倫子が出歩いたかは別としても、裏に住んでる女の子の噂なら聞くかもね。それで中宮に出仕しないかと声をかけるのもありそうな話です。もしくは、紫式部が倫子付きの女房として土御門殿で家女房を務めていた可能性も、この距離感ならありそうだなあって思う。倫子の父は左大臣だったし、倫子が入内する前提で才能のある若い娘を女房として宮中に連れていく前提で集めていて、その中の一人だったのかもしれないなあって。
紫式部が道長の召人だったかどうかは別としても、「近所の人」。本当にご近所さんだった。
そして、意味もなく、無駄にこの周辺を(牛車に乗って)ウロウロする若い中流貴族の娘(孝標女とか孝標女とか孝標女)がいそうだなあって想像するとおかしくなってきた。元祖オタクですから。菅原孝標女って。絶対この人は二次小説を書いてる。そして実際に書いてるんじゃないかという話もある。
話があらぬ方向に向かってしまった。
気を取り直して、ちゃんろ盧山寺の話をしよう。塀の向こうも盧山寺の敷地なんでしょうかね。
塀の向こうから見事な紅葉の枝がこちらに降りてきてました。真っ赤になったら見事でしょうね。実は、和歌にいくつかあるんです。隣の家の紅葉とか、桜を詠んだのが。それが京都人の「綺麗ですねえ(さっさと片付けんかい!)」なのかはわからない。
庭の紫は桔梗。
桔梗の時期だけの桔梗を使った御朱印をいただきましたよ。なぜか人も少なく、すごく静かで大変よかった。京都御苑に行くならぜひ盧山寺も。
拝観料:500円、御朱印:300円
・盧山寺
御苑とそのすぐ近くでのルート。