南京:南京博物院は中華民国の中央博物院由来 [2026年3月 南京旅行]

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南京博物院 Nánjīng Bówùgyuán

中国には、各省の省都に大型の総合博物館があって。「〇〇省博物館」みたいな名前なんですね。南京は江蘇省の省都だけど、江蘇省には、「江蘇省博物院」は存在しません。その代わり、中国の中でも、最大級の総合博物館の一つ、南京博物院があります。ここは元は中華民国の中央博物院を起源に持つ、由緒正しい博物館です。
南京博物院

通称は、南博。

ここは、南京の博物館の中では珍しく無料ですが、微信での予約必須でした。取りやすかったよ。

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私は比較的羽田空港を使います。

そのまま地元に、地元から乗り継げるとは限らないので前後泊することが多いです。問題は前泊ですね。東京の交通は荷物を持っている人に過酷ですし。そんなことを書いています。⇒羽田空港近辺で前後泊するならば。どのように考えて選んでいるのか

結論を先に出してしまうと、身も蓋もないけれども、国際線に乗るための前泊ならば、やはりロイヤルパーク。⇒ザ ロイヤルパークホテル 羽田に前泊しました

——————————引き続き「姉御の一人旅ガイド」をお楽しみください。

南京博物院とは

このブログを読んでくれる人は、台湾のリピーターが多いと思うんだけど。私が台北に行くとほぼ毎回のように行くのが故宮博物院です。この南京博物院の前身が「中華民国の中央博物院」で気づいてほしい。北京の紫禁城の宝物がなぜ台北にあるのか。中華民国時代南京は中華民国にとってどのような都市だったのか。

日中戦争時代に、北平(北京)陥落を目前に、中華民国政府は、故宮の宝物を重慶などに移し、戦後に南京に移動させます。そして、中央博物院の成立。次に、国共内戦時代に、台北へ。

そして、台北に故宮博物院ができるわけよ。

https://www.npm.gov.tw/Articles.aspx?sno=03012532&l=3

そして、南京には、台北に持って行かれず、北京にも戻されず、残された宝物がある。それを管理して展示しているのが、南京博物院。ということ。

歴史館(历史馆)

江蘇省の歴史。これが、マンモスや恐竜からスタートだから、振るってる。
旧石器時代、新石器時代の話は……ですね、はい。太湖向こうらへんの浙江省で稲作を始めたということで、この辺りも稲作が早い。土器も作る。土器は浙江省の方の黒陶とはちょっと違う雰囲気だねえ。

↓はお釜っぽいね。
南京博物院
ギザギザがついてるのが結構あった。飾りなのかな。この辺りの特徴なんでしょうか。

青銅器時代に入ると、周のこれ↓がかわいらしい顔つき。

南京博物院

春秋戦国時代の呉越の争い、楚漢戦争ときて、漢代のこの地域の中心地は現代の揚州らへん。当時は「広陵」と言った。(だから李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」は古風な言い方なんだろうなー。李白は南京で詠んだ詩にも「金陵」の古名を使ってる)
↓は、広陵王璽。後漢です。
南京博物院

サイズ的には、福岡市立博物館にある、漢委奴国王印とあんまり変わらないようなと思ったら、漢委奴国王印は一辺が約2.3cm。こっちも約2.3cm。六朝博物館の、張昭の金印も上が亀さんなのよね。↓は六朝博物館の、張昭の金印の一つ。

六朝博物館

ちょっと亀さんのデザインが違うねえ。あと、フォントのデザインも違う。それが時代ですかね。

https://kotobank.jp/word/廣陵王璽-162001

https://museum.city.fukuoka.jp/gold

さて、南京博物院へ話を戻すけど。↓前漢後漢通じて、ほぼ完成系に近いよね……
南京博物院
こういう感じの、ワンセット、みたいな展示が南京では多いなと思ったんだけど。南博には、各時代を棚に詰め詰めで見せるコーナーまであって。南京は、ざっくざくと出てくるんだわ……と。

いよいよ六朝時代

赤壁の戦い(208年)の後に、孫権はこの地を発展させた。212年に呉(今の蘇州)から秣陵(今の南京)へ移動し。一度武昌(今の武漢)に移動して、いよいよ、229年に建業(今の南京)への遷都です。

周瑜は210年に死んでるので、212年はもう魯粛。その魯粛も217年に死に。それを継いだ呂蒙までも220年に死んでるから、229年だと陸遜だねえ。

南京博物院
↑この手のものもちゃんとある。
しかし一番はこのコーナー。レンガで模様を作るってやつ。
南京博物院
六朝博物館で、この時代にレンガで模様を描くのが流行ったとあったけど、いまいちピンとこなくて。
こういうこと、と。向こうにも竹林の七賢のものが変な?感じでなぜか一部ひっくり返ってたりして作ってあったけど、こういうこと、と。

陳が隋に滅ぼされて、六朝時代は終わる。その頃の現代の江蘇省は、揚州!唐の揚州の模型もあったけど。

珍しいものを出そう。唐の後、五代十国時代、南唐という国があります。都は金陵、すなわち南京です。南唐の内侍のお人形さんたち↓

南京博物院

確かに中国ドラマではよく宦官たちが高い帽子で後ろ首がかくれるやつをかぶってますね。こういうイメージだったのかしら。

杭州だと、浙江省博物館(之江館)ではこの時代に杭州を都にした呉越に関する詳しいパネル解説もあったけど、本物の展示は少なかったような記憶が。南京博物院では、南唐はさらっと解説するのみだけど、本物がある、と。

青磁というとグレーではなく、↓みたいな「青」を思うんだけど、宋なんだよなあ、この色。の青磁の筆洗いかな。

南京博物院

の金のお盆。

南京博物院

派手だよなあ。元って思ってた以上に派手。

にくると明故宮より↓。明故宮公園の博物館部分よりもいろいろあったよ。

南京博物院

大報恩寺のものもたくさんあるんだけど、写真がよくないので割愛。

清の泥で作ったお人形などもあったけど、この博物館の清のハイライトはここではないのだ。で、太平天国に関するものはなかったと記憶しているので、太平天国は本当に太平天国歴史博物館へ。

民国館

南京は、中華民国の首都だった。孫中山先生(孫文)と思ったんだけど。

民国時代は、南京が一番幸せな時代だった、みたいなのが書いてあったんだが↓

南京博物院

ん????ちょっと嫌な予感。

機関車さん。

南京博物院

このコーナーの中に二階建ての建物が入ってて、銀行のレプリカ?などもあったんだけどね。↓

南京博物院

要するに……売店コーナーでございました……あの、あの、あの、そこまで興味はないんだが、あの、あの、あの、中華民国のシステムとか、あの、あの、あの……どこかにありましたっけ???

乾隆の回転瓶

南京博物院の最大のお宝がおそらくこれ。乾隆蓝釉描金粉彩《清高宗行围图》转心瓶

南京博物院

清の高宗というのは、乾隆帝です。おまえが「高宗」かよwwwなのは置いておいて。乾隆帝は南方への行幸を繰り返すのだけど、そういう旅行図、みたいなやつ。写りが悪いから見にくいんだけど、↓瓶というか壺の中にもう一つあって、動かせる、というものです。

南京博物院

これが台北に持って行けなかったものの中でのいちばんのお宝なんでしょう。

そのあと、乾隆時代の陶器コレクションがあったけど、大きい物も結構あって、よくこれを北京から持ってきたよ、と思うんだけど、確かに、海を超えて台北まで……面倒ね。壊れるのが怖いし、乾隆コレクションならもうええかな、みたいなのはあるかもしれないと思いました。

3月でまだ新春もの?だけど、旧暦ではまだ2月だったからいいんじゃないですかね。午年です。↓戦国時代の戦車。そして広げてあるのは史記です。

南京博物院

↓毎度お馴染み、唐太宗のお馬さん。やっぱりかっこいい。

南京博物院

「赤」の前足がおかしなことになってるのは、横顔が見えてる人がいたのをクリーンアップしたから。「民国期の拓本」がどうの、と説明が気にあったんだけど、それはこの展示が、レプリカの拓本ではないということだったんですかね。もう一つ、石碑の拓本があって、その石碑に昭陵六駿が描かれてて、そっちのことかな、解釈してたのだけど。

そのほかにはいろいろ馬関連のものがあったけど。唐は騎馬民族っぽさを消そうとしてるけど隠しきれない馬への愛、みたいな感じがあるじゃない。清は騎馬民族による征服王朝であることを隠さないけど何かあるのかな、と思ったら。馬の等身大(?)の巨大な絵がりました。西洋絵画の影響があるんだそうな。それも、台北に持って行かなかったものなんだろうなあ……

屋上から明孝陵(世界遺産)を眺める

この日は、南京博物院から出て東側にある中山門から「南京城」を外に出て、明孝陵(明の朱元璋の墓)まで上がらなくてもその手前?にある孫権の墓とされるエリアまで行こうかなと思ってたんですよ。中山陵(孫文の墓)は、明孝陵からさらに奥にあるようで、そっちまでは行かなくていいと思ってて。

南京博物院の屋上から見えたんだけど……

うん……俺はやめといた方が良さげ。

明孝陵

孫権の墓とされるエリアも本当に孫権の墓かはわからんし。ばいばい、孫権。

南京博物院へは、明故宮駅から歩きました。明の当時だったら、明孝陵から皇城が、皇城から明孝陵が見えたのではないかなあ。⇒明故宮遺址公園と、西安門

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