飛鳥時代の古墳の壁画が出てきたのは、キトラ古墳と高松塚古墳です。⇒高松塚古墳
高松塚から壁画が出てきて、その近隣から「え?絵ならこっちにもあるよ」的に「発見」されたのがキトラ。「キトラ」とカタカナになっているのは、そのように住民が呼んでいたからという話。由来はいうのは穴から亀と虎が見えていたからとも言います。奇跡的に、盗掘者の開けた穴が朱雀の絵をかすめていたというのもびっくりなお話。
今回はその国宝の、キトラの壁画(の本物)も一部見ることができました。
奈文研の、平城宮跡資料室で見つけたポスターよ。
こいつは行かねば。最後まで吉野に回れるかなあなんて思ってたんだけど、この段階で明日香2daysに決定です。
調べると、人数制限をしていて、予約前提ですが空きさえあれば当日参加も可能でした。平日ですし、空いてる感じの時間を狙ってキトラへGo。身軽な単身参加者はすぐさま次の回へ回され、連れのいる方はその次の回に回される感じでした。このご時世ですもん、一人でGo。
https://www.nabunken.go.jp/shijin/
まあ、凄かったわよ。明日香では言葉を失いっぱなしでしたが、しょっぱなからこれだもんな。
キトラ古墳壁画体験館 四神の館
ここは、壁画公開してない時でも、明日香にきたらマストな博物館と言えましょう。入場無料です。
これは見終わってからの写真です。
なんでかな。修正をかけてるわけじゃないんだけど妙にぐねぐねした写真になってる。
本来地下から建物に入っていきますのよ。ここは、壁画を見たら出てくるところです。この先は古墳本体と展望台になる。
というわけで、地下に戻りましょう。戻った先の写真がないんだが。さっさと予約取らないとならなかったから余裕がなかった。
充実した展示内容
ここの展示内容は充実しています。高松塚とキトラの比較もあります。ビミョーに違う、同時代の二人のお墓です。中の人骨から葬られたのは50代から60代の大柄な男性と推定されています。
奈文研ではこの一帯に渡来人が住んでいたとも書いていたので、やっぱり百済の王族かしら。解釈を深読みしすぎたかしらね。
近くに高松塚もあって、あっちは文武天皇天皇陵に隣接し、天武・持統天皇陵も遠くないのでねえ。やはり、天武天皇の息子の一人かしらね。どちらかが高市皇子なのかも。長屋王のパパよ。
天井に金箔で星図をつくらせたり、副葬品もキラキラしててすごいんだから。
小さなプラネタリウムもあって楽しめました。
ただ、一番は石室の内部の再現です。撮影可能だったけれど、出して良いものやらわかんないから出さぬ。
これだけ充実して無料ってないわよねという具合です。本来ならば売店でお金を落とすべきなのですが(Go Toクーポンもありますし)。ところが、この日はどういうルーティングになるかがまだ未定です。何も買えなかった。
https://www.asuka-park.go.jp/area/kitora/tumulus/
https://www.nabunken.go.jp/shijin/equipment/
キトラ古墳と展望台
四神の館って書いてるところに上がったら次は古墳の上に上がるしかない。前日、室生寺・長谷寺ハシゴして、お尻の筋肉まで筋肉痛なんだぞ。⇒室生寺
途中に、こんな乾拓板があったりする。
確かに、この手のものは中学受験を控えたような子の水準に合わせておくのが良いかもしれない。
そしてこうです。
ドーン。
10年以上前に、近鉄飛鳥駅を降りてキトラか高松塚かに行ったけれど、どっちだっけ?と思いながら、この形に見覚えがない。高松塚まで歩いて、あ、来たのは高松塚だったわねと思い出した。
で、今度は展望台へ。だから、私は、足からお尻が筋肉痛なんだってば。
ドーン。目の前に広がる広場は駐車場前です。
檜隈寺方面へ
檜隈寺というのが、渡来人のいた寺です。今はウォーキングコースになってる。
この写真の上の写真もそうだが、人はいないわけではないんだ。というよりも明日香は人が多かったぞ。
農業体験ゾーンらしいところを横に見て、さて、高松塚まで歩くわけ。
道を渡れば、そろそろ高松塚ゾーンへ。そうです。真ん中の鳥居のようなものが文武天皇陵です。
行き方
一応、キトラ古墳も現在の行政区分では明日香村の中にあります。
しかし、現在の人の流れはキトラ側はお隣の高取町の方が便利なのかなあ。駅も近鉄飛鳥駅よりももう一つ吉野がわの近鉄壷阪山駅の方が近いです。
周遊バスの「かめバス」も、キトラ線は別になってて、飛鳥駅とキトラをノンストップで結びます。ただ、一日乗車券は使えるので、私は乗車券を使いました。
上にも書いたように、キトラからは徒歩で高松塚に行きました。