このページの内容をまとめると
キトラから高松塚まで歩いてきた姉さん。足が少し疲れてきたので、周遊バスの「かめバス」に乗りたいなあって。⇒高松塚古墳
飛鳥歴史公園館
「高松塚」のバス停は「飛鳥歴史公園館」のところにあるから歩いてきた。
変な切れ方をしているのは、ガラスにバッチリ私が写ってたからです。
ここは資料館というよりも「休憩所」と「集合場所」なのね。多分、修学旅行などでこのエリアに小学生を放流して、回収するんじゃなかろうかと思うの。この前に駐車場というか、バスが旋回できるようなところがあって、この中にどちら方向の「かめバス」も入ってくる。できたら石舞台行きがいいけれど、飛鳥駅行きでも、石舞台行きでも、どっちでもいいやって感じよ。ところが、バスの時間はちょいとばかり先だわ。ということで。
近くにあるという鬼の雪隠・鬼の俎に行くことにしました。
鬼の雪隠・鬼の俎
畦道もしくは、トラクター用の塗装された農道を歩いて登ってやってきた。
明日香村は農村だからね
ここに限らず、明日香村で遺跡巡りをすると結構農道や畦道を歩く羽目になる。ここまでくるのにどうしようもないのよね。
そういうときに気をつけることがいくつかあって、絶対に田畑の中に入らないこと。
高圧電流が流れるようにしてあったのだけど、動物と言うよりも観光客対策だろうと思いました。
明日香村は、この30年近くになる市町村合併の中でも「村」を通すところから見ても、そこそこお金があり、同時に排他的であることが推測できます。隣の高取町と合併してもいいだろうに、しない。する必要がないのよ。
このエリアには奈文研や県の博物館がぽこぽこあるけれど、いずれも常設展は無料のところが多く、石舞台のようにとっても300円とかさ。⇒石舞台古墳
レストランもそんなに多くなければ、宿泊施設もあまりない。つまり遺跡観光で食っていくつもりがほとんどない地域なのよ。ここ、がっつり農村です。平日の日中は阪南の企業に勤める兼業農家も多そうだわ。
宮内庁が管理しているとはいえ、観光客が立ち入れるエリアの日々の掃除をなさるのは、十中八九地元の方々ですから。田畑の中に入らない、大騒ぎしない、ゴミは持ち帰る。いいね。
鬼の雪隠
これだね。
前に回ってみましょー。
ああっ!確かに。確かにこれ石室の蓋なんだわ。
この図がわかりやすい。
鬼の俎
上に登りますと。
あああああああ!!!!!!!この上に、あれが被さってるわけよ。そしてもう一つ扉的なものがある。その中にどなたかが寝てたのね。
ずるっと滑り落ちて蓋であるべき部分がひっくり返り、近くに人骨が見つかって「鬼」という伝説が生まれたのかもね。

近くに欽明天皇陵があって、欽明天皇の石室ならば古墳とずれすぎてるのね。
その陪塚(家臣などのお墓。殉死したとは限らない)とみられてるらしいけれど、この石室は7世紀後半なら、645年乙巳の変ですわよ。欽明天皇とはまるっと100年はずれてます。
考えておくれ。第一回遣隋使が600年。このとき推古天皇です。さて、推古天皇とその前の敏達天皇、さらにその前の用明天皇(聖徳太子の父)の三人は兄妹です(敏達と推古は異母兄妹の夫婦)。この三人のパパこそ、欽明天皇。
欽明天皇に仕えた誰かのお墓を、推古天皇時代から斉明天皇時代に改葬した可能性はあろうと思うなあって。
で、今回欽明天皇陵そのものにはまわってないのよ。
高松塚に戻ったら、バスはすぎちゃうかな。なら、ここから亀石を見に歩いて行きましょーって、歩いたんだけど、天武・持統天皇陵のバス停を確認したら、高松塚で乗ろうかなと思ってた石舞台行きのバスがちょうどきてて、乗っちゃいました。で、亀石も持統天皇陵も行けてないんだなっ、実は。