慶州歴史地区が世界遺産に登録されています。大陵苑(テヌンウォン)はその一つ。

ここには、KKdayさんに体験させていただいた、釜山発慶州日帰りツアーにて行きました。
KKday 慶州1日ツアー
「陵」とあることでわかると思うけれど、陵墓、つまり古墳群です。慶州は明日香村みたいだなと思ったのだけど、古墳がポコポコしてるというのが一つの理由でもある。
皇南大陵
まず目を引くのは、皇南大陵。ここはふたこぶになってて、二人の人のお墓ということまではわかってる。

ふたこぶ式の古墳は珍しいものなんだとか。日本では合葬された古墳は、明日香村の野口古墳があります。天武天皇と持統天皇夫妻の古墳で、藤原定家の時代に盗掘に遭って、その記録が残ってます。
おそらくまず埋葬されたのが男性で次が女性だろうということもわかるのだけど、この二人は夫婦ではないのではないかという説もあるっぽい。
新羅積石木槨墓の埋葬プロセス : 皇南大塚を中心に (第2部 王権の比較)
父親と娘という可能性もあるよなーと思いました。
例えば、ある有力者(男性)がいて、その人には一人娘しかいなくて、遠縁の男性を娘婿に迎えて地位・財産を子孫に相続させていくとして。
その娘が産んだ息子が、父親ではなくて母方の祖父の威光を使いたい場合(あれ?どこかの元首相にそんな人いたねえ)、自分の母親をその父親の墳墓に合体させる形で埋葬した、とか。
その娘は中継ぎかもしれないけれど、一種の女王だった場合とか。飛鳥・奈良の女帝たちのように、あの人たちは妻である前に娘だし。
なんてことを思いました。
皇南大陵からの出土物は、慶州博物館にあるのかなあ。行きたかったよ。
天馬塚
2023年4月現在、中に入れるようになっているのが天馬塚です。天馬の絵が見つかって、天馬塚と呼ばれてる。キトラ古墳に隣接した博物館ほどではないけど、高松塚よりは充実してる、って感じ。
ここは皇南大陵のほんっとすぐ近くです。入り口には漢字で「天馬塚」と書かれてるんだけど、今回は人が多くて撮影できてないです。
中は、出土物のレプリカの展示があります。本物は慶州博物館です。
撮影してる人たちもいたんだけど、私は中は撮影不可だと理解してるのでないよ。
黄金の冠などもあるんだけど、思い出したのが、橿原考古学研究所附属博物館の、「大王」の復元です。上から下まで黄金でキラキラの、なんとなく異様なのがあるんだけど、黄金の王冠はちょっと違うかな、でも一揃えの復元があってなんか連装したんだよね。
黄金の鋲打ちの沓もどこか(日本)で見たことがあるのにそっくりだぞ…。
統一前の新羅は、朝鮮半島の南方の東側でしょ。北方は高句麗に抑えられ、西方は百済。高句麗は陸と海路で南北朝時代の中国と、百済は海路でやはり南北朝時代の中国や倭国と親しく、新羅は孤立してるんですって。
それで、中国の影響が少なく、木棺の上に石を並べたので中のものが守られたのだとか。とはいえ、交易はしているので、倭国の勾玉だの、ペルシャのガラスの杯だのが出てきてる。
後に新羅は唐と組んで百済を、次いで高句麗を南北から挟み撃ちにして滅ぼすのだけど、高句麗の領土の多くは唐が取っていって、今でも北朝鮮ではなく中華人民共和国やロシア沿岸部になってる。
ガイドさん曰く、韓国人的に、高句麗のものを中華人民共和国が吉林省にあるので、中華人民共和国の中の少数民族の朝鮮民族のものとして世界遺産に登録したことには思うところがあるらしい。
けど、今現在は吉林省なんだから仕方ないよな…というお気持ちでした。だってそれを言うなら、ドイツにある古代ローマの遺跡を、イギリスのハドリアヌスの長城を、イタリアが?エジプトのプトレマイオス朝のものをマケドニアが?ギリシャが?と言う話になってしまうもん。
そのほか
公園のようになってるんだけど、一つ一つの墳墓の間隔はものすごく狭いです。広島県の三次の古墳群もポコポコしてたけど、一つ一つはこんなに大きくはなかったわね。

これを思うと、明日香村の古墳群は感覚をたっぷりとゆったりと作ってあるような気がするよ。

自撮りスポットになってるのが、皇南大陵と別の墳墓との間に木が生えてるところがあって、地獄に挟まれた天国だったかな、地獄の中の天国だったかな、だそうな。
確かに綺麗なんだけど、君ら、自撮りに並びすぎやwww。しかもこの日は黄砂すごかった(翌日の釜山はもっとひどかった)ということで人を撮影してるんで、出さないのだ。
そして、石がならべてあるところがあるんだけど、結構平らな石で、礎石っぽいものがいくつもあった。

つまり、大陵苑とその周辺には建物が存在していて、その礎石を集めてきた、ということなのかな?
今回参加した慶州ツアー全体についてはこちらに書いています。⇒慶州1日ツアー
KKday 慶州1日ツアー