ぶらぶら歩いて、広州の古いお寺めぐり。のつもりが、周辺の方が面白かったパターン。お寺で祈るのはただ、「無事に帰れますように」。帰れたし、帰宅後に倒れもしなかったから、ご利益あったんじゃね?
先に、わくわく部分の写真を出さないことについて
写真はねえ、あるんだけど。うーん…彼ら、貧困層ではないと思う(ただ、再開発がまだというだけで)。ただ昔の上海同様、他人様が生活しているところを、俺が勝手にネット上に出してええんかな?という躊躇があってねえ。私としては、民家のドアを勝手に晒して「かわいいを集める」みたいなことはしたくないんよ。
入ってええん!?と思いながら道に入るけど、お店があったりするから、入ってもええんちゃうかな…タバコを燻らせながら談笑するおっさんたちとか。雰囲気たっぷり。越秀区は再開発がまだなんかな。街の中心は越秀区から天河区に移ってしまってるという話だけど、天河区は地下鉄で通っただけ。こっちの方がよっぽど面白かったし、いつまでもあると思うな、下町。
お寺が近づくにつれ、人が多くなってきて、ビンビンに「ヤバいで」。バッグはロックめいたことをして、手にはiPhone SE3のみです。こっちは中国専用スマホだから、取られたら嫌だけど、パッと見、古いわけで。取られにくいかな、とか期待して。それで写真はあんまりクオリティが良くない。
光孝寺
一番初めに行ったのは光孝寺。確か、10年前に行こうとしたところがここだった。しかし、ここでスリに遭ったとか、無理矢理ガイドしようとするのがいて、とかいうのを見て。香港から来て頭パーン状態で、とてもじゃないけど行けなかったところです。

現在では禅寺ですが、広州では最古のお寺。なんと、東晋時代の401年です。239年が卑弥呼よ。「光孝寺」という名前になったのは南宋時代だとか。
それよりも、頭が三国時代なわたくし。虞翻(ぐほん)が孫権によって左遷させられた「交州」が現在の広州。虞翻が教えてた場所がここです。それ以前は、前漢時代の南越王の王府だったという場所。ほら、姉さんが行きたそうなとこざんしょ?
東晋時代のものは残っていなくて、建物は宋のもの?を清時代に何かしたっぽい。

そうかそうか。飾りがわかりにくいよね。龍がいる。

建物以外に残ってる古いものがあります。俺、飛鳥・奈良・平安・鎌倉の仏さまの顔は割に馴染みがあるけど、こちらはなんか見覚えない。ピカピカしてて、新しいんだ!(比較の問題)と。新しいからどうだ、古いからどうだ、という話でもない。私が祈るのはただ、「無事に帰れますように」。
鉄塔
東西に一つずつあるっぽいけど。

五代十国時代、広州は南漢。その頃のものだということで、一番古いのがこの鉄塔です。
五代十国は、900年代の、唐の後の混乱期です。日本では遣唐使を中止し、古今和歌集の編纂を経る。ちょうど、宇多・醍醐・朱雀・村上といったあたり。1000年代の女房文学に至る手前ですが、おそらく中国側の混乱による、圧倒的な先進文化日本に流入するのが止まったのかしら?なんて思っちゃう。知らんけど。(でも、避難民が舟を渡ってきたりしなかったんだなあ…とも思う)。ま、南漢もまた、宋(北宋)によって滅ぼされます。
上の写真でお花が備えてあるでしょ。お寺にいたる道でお花を売ってて、それをお供えし。さらに回収されたお花を持ち帰る、というのが面白いなと思いました。観光客の俺はお花はもらわなかった。
瘗髪塔
一説には唐代。一説には南宋。煉瓦造りの塔。パゴダ、つまり仏舎利塔ではないんですよ。

あ、屋根にお人形さんが立ってるけど、なんだかわかんなかった。
https://baike.baidu.com/item/%E7%98%97%E5%8F%91%E5%A1%94/16969278
下町を歩く
それより、こっちの方がわっくわく。お寺の境内から、立ち入り禁止になってるところの先で、屋上屋がたまらんだったり。
お寺に至る道だけど。歩道に線香を備えたのがあったり。

こっち↓はお供え物に、占いかな。

…占い、中国で許可されるん?
広州で治安に不安感があったのは、光孝寺周辺だけ
現在の治安というか、軽犯罪的なものがどうかは知らんけど。確かに人は多いし、お寺に近づいてくると、いわゆる東南アジアに多くいるような、身体障害持った物乞いめいた人たちが増えてねえ…共産主義でこれはええんかいな?車椅子で、「大兄大姐」(確か、「ターガータージエ」ではなく「ターションタージエ」って言ってたと思う)と拡声器で呼びかける人がいたり。確かに今でもちょっと、「違う」場所でした。気をつけて損するところではないね。
台北に馴染みがある人なら、行天宮。あそこの周辺に結構いらっしゃるじゃない?あの周辺はオフィス街だし、そんなに治安に不安は抱かないんだけど。むしろ、龍山寺周辺かな…いずれにせよ、福岡にいた俺には多少馴染みのある程度の「ヤバい」感じがいたしましたね。言うて福岡程度じゃけん。広州の治安は悪くないったい。
ま、バッグは前に。チャックはロックめいたことにしておくと良いよ。
六榕寺
光孝寺から六榕寺まで歩いたけど、こっち側はあんまり警戒しないとならんなあ、とは思わなかった。ただ、境内は人が多少いるから、手荷物には要注意。
寺の名前の由来は、北宋の蘇東坡。この人も恵州に左遷されたわけよ。恵州すなわち現在の広州。境内に六本の榕樹すなわちガジュマルが美しかったんですって。今はもうない。
六榕花塔が有名だけど、六角形ではなく、八角形。

あんまり見どころはない。
2月に春を迎える広州。四季ずっと花が咲いてるんじゃないかなあ。
ところで思いません?広州の下町の建物って、騎楼にはなってないけど、二階部分から道にはみ出してくる。いや、騎楼なんかしら?とにかく一階部分庇の上に乗っかってるよね。
台北みたいな、はっきりと騎楼にした方が良いと思うんだが。広州、雨多いよね?
いやしかし。そうすると、洗濯物が干せなくなる???


