西安碑林博物馆。碑林=bēi lín。孔子廟だった場所です。

目の前に現れる碑文に墓誌。
聞こえる……若き李世民が乗る戦馬の蹄の音が……(玄武門に引き続き、幻聴が…
いやー……結局朝10時前から14時すぎまでいたのよ。ここもまた、脳汁ぶしゃーで。本来城壁を回ったりしようと思ってたけど、明の時代の東西の門?なにそれおいしいの?状態。あの状態の城壁がぐるっと周ってるって、本当に大変貴重な城壁と城門に向かって、なにそれ……と思うけど仕方がない。
あと、「大秦景教中国流行之碑」がここにあるよー。
碑林博物館とは
碑林区の由来ですね。ただの博物館が?と思うでしょ。本当にとんでもない。
元々この地には、玄宗時代に開かれた孔子廟があった。

だーからこんなのも残ってるのよ。

唐末の混乱期を経て「長安城」は荒廃し、60年後の北宋時代に、長安城も小さくなれば、かつての長安城の内側も、外になってしまう。かつての長安城にあった碑文を孔子廟に集めようとしたんだそうな。
https://baike.baidu.com/item/西安碑林博物馆
そこでなんか、じーんと来たのよ。
それが、元、明、清と続いた……
1944年には陕西省历史博物馆になる。今の陝西歴史博物館の本館は1991年にできたもので、ここは「西安碑林博物館」へ。元々の歴博はここだったというわけよ。
しつこい客引きガイドいるから注意して
ただし、俺さまにはねえ。女性目線では「孔子廟」はねえ。儒教はあまり良いものではないと思うねえ。石碑、ねえ……とローテンションだったわけ。顔真卿見たって、解説があろうがなかろうが、俺にわかるかよ?みたいな。
いや、顔真卿のすごさがわかるから、行けったら、と今は思うよ。
この日は西安市内で過ごせる最後の日でね。始皇帝陵リベンジを考えてたけれど、空気があまり良くないんですよ。それなら、建物内の博物館のほうがいいわね……前日に玄武門の変の幻聴を聞いてしまい。ここに唐太宗昭陵六骏石刻があるのを知ってたので。ちゃっちゃと南方の門を見て、ちゃっちゃと李世民詣をして。ちゃっちゃと東西の門を見て帰りますか、と思ってたの。
かなり低めのテンションで、南方の門を見た。うん、立派な門です。残してくれてありがとう。さっさと昭陵六骏見ましょうねと、博物館へ。
確かに元は歴史博物館だった場所ですが、今は有料。といっても85元なので、そんなに高いものではない。
客引きガイドを振り切って入る
スマホでいじってチケットを買おうとしていると、ガイドいかがですか?高くないですよ?と言ってくるおばさんがいてねえ。おばさん扱いするけど、俺さまよりも年下かもしれない。なお、値段は聞き取れない。俺が無視してスマホでチケットを買ってる間に、イヤホンを解きはじめて、押し付けられたらたまらん!と逃走して、さっと中に入った。
わからんのよね。日本だと、客引きのようなのには、拒絶でも反応したらアウト。営業は断られてから始めるものだからさ。ところが、中国では反応して拒絶を示したほうがいいの?わからん。読めない。
入る直前にパシャ。

中では押し売りする客引きガイドはいなかった。
特に奥の博物館はしっかりと解説があるんで、碑林博物館では解説は不要だと思うよ。
実は、ここでは日本語ガイドがいたんですね。ツアーコンダクター的な雰囲気の中国人と、博物館用の日本語ガイドのコンビで、成人ばかりの家族かな?という感じの日本人一行を案内してたんですけどね……断片的に聞こえてきたのは、やっぱり、大したことは言ってないようで。
碑林博物館の場合、ガイドを使うなら、時間がないときに見たいものは何かをはっきりさせて、それを見に連れて行ってくれ、というやつですね。
外。
孔子廟らしくあまり派手ではない庭と建物?あと碑文がいくつか?と思ってたの。それで80元は高くね?いや、文物の保存……とぶつぶつ呟いてた。お馬さんがいたので、え?李世民の馬ってこれですか?

おっと、赫連勃勃の息子の馬!
いやあ、なんぼくちょでございましたか、失礼しました。↑下の方に日本語が書いてあるけど、タイトルと時代だけです。
正殿らしきところに人が入っていく。その前に、上にあげた玄宗の石碑があったわけよ。
はいはいはいはい。四軒建物が続いていて、解説はあまりなく、漢代だのいろいろある。解説がないのであんまりよくわからない。
よくわかるのはこれ。学びて時にこれを習う〜朋遠方より来たるあり〜。論語の冒頭です。

「朋」の字が斜めになってるのは、なんでしたっけ。「明」でしたっけ、「用」でしたっけ?何かの字と同じだというのをどこかで見たんだけど、なんだったっけ(ああ、ビブリオ〜)
おお。と思うけど、まだテンション低い。で、ここでよくわかんないのはおいといて問題ない。

博物館
実は、四軒目の建物の奥に、博物館の本番があるんですよ。そこに入らずに、「あ、この程度ね」と思ってはいけないのだ。
一番奥が本番です。2025年3月に全面公開された部分?ということかな。解説も充実してた。

博物館の中に、外の建物の中に林みたいに並んでた石碑について、拓本と共に解説が結構あるから。行きでも帰りでも。
峄山刻石
西安だよなあ、ここはそうだよな、というものから。

これ……北宋時代の複製です。元々のものは既に失われてるんだけど、これね。李斯(り・し)の字です。李斯ってわからん?「皇帝」からスタートしてるのでわかってほしい。
始皇帝のことなんだよ❤️李斯は始皇帝の丞相だよ。法家の。韓非子を推挙させなかったとか。扶蘇ではなく胡亥を即位させたとか、色々あるけどね。度量衡の統一、文字の統一にはこの人が欠かせなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/李斯
ここでいきなりテンション爆上げだもん。
https://www.beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=2620
顔真卿
顔真卿のものは結構あります。北宋時代に集めたんでしょう。顔真卿のところに至るまでに、字体の変化などがあるので、それを見た後に顔真卿を見ると、なるほど、と。
↓は颜氏家庙碑より。

よ、読みやすい…安禄山の謀反とか、粛宗がどうの、という。
顔真卿本人が文字を彫ったわけではなく。まず、顔真卿が書きます。それを元に彫っていく。
そうなのよ、顔真卿って、安史の乱の鎮圧に頑張った人の一人です。粛宗というと、そうそう。仏教の話も。いろんな主教の話もあるんだけど、仏教系は、太宗・高宗・粛宗と並べがちで、おそらく武后は高宗の中に含むんだろうなあ、と思ってて。玄宗がないんです。武則天時代の反動があるのかなあ。知らんけど。
唐は、日本人のイメージと違ってそこまで仏教を手厚く保護してないよ、と読んでから来たのだけど、私はパーっと見ただけですが。そうなのね、特に玄宗そうなのね、と思ったわけ。顔真卿の話も、唐王朝と仏教の話も↓
仏教を使ったのは、隋。
例の、東の島から煬帝宛のお手紙についても。
大秦景教流行中国碑
ネストリウス派キリスト教が中国でも流行ったって碑です。この場合の「秦」とは、「ローマ」。ただし、300年代末にほぼ東西分裂。400年代に西ローマ帝国は滅び、存在するのは東ローマ帝国。というよりも、唐的には「西方の」くらいの感覚ではないかな。知らんけど。

20年ぶりに世界史の図録を買ったのだけど。一番上の、頭の部分だけを切り取った写真が載ってたの。
こうなのよ。

ここに限らず、西安でいろいろ見たわけですけどね。中国の宗教的な石碑はよく、亀の形の台座だなあって。それをキリスト教でもやった。
中国の仙侠ってわかる?中華ファンタジーなんだけど、仙人とか神様とかの話。話の源流を辿れば「封神演義」や「西遊記」に行き着くと思う。そういうドラマで、石碑の前で罰を受けるシーンなどがあるんだよね。確かに石碑が亀の上に乗ってたりする。なお、特におすすめのドラマはないです。
亀趺(きふ)。というのだけど、それについての説明も別にあったよ。

こんな感じで結構わかりやすい解説だった。
拓本。

はー、ここにあるとは知らなかったので、びっくり仰天したわけです
墓誌
北魏くらいから墓誌を作るのが流行して、いろんな大きさのものが作られたけど、唐に至ると割に規格化されたっぽい、とか。墓誌のコレクションはすごいよ。
いろーんな国の人のものが出土していて、やはり陸続きの鉄勒(トゥルク。トルコ系)の人のとか。

日本人では井真成のものが、拓本の複製(どゆこと?)だけど展示されてました。最後に出てきてこれまた、おおーっと。空白欄が多かったけど。遣唐使は行くまでに船が沈没し。現地で亡くなる人もいれば、帰国のときに船が沈没することもあった。
太宗は、日本に関しては、海を隔てて遠いから、そんなに頻繁に来なくてもOKと言ってる。
昭陵六駿
昭陵というのが、李世民=唐の太宗の陵墓です。

李世民の墓を飾った六頭のレリーフです。二頭はアメリカに持っていかれちゃったのでそれは複製です。四頭はここに展示してあります。
李世民は十八歳で父の李淵とともに挙兵し、隋末期から唐の当初の十年間を戦場で過ごしました。その頃に乗っていた六頭の戦馬たち。十年間で戦馬を六頭乗り潰すような生活をしていたんだなあ……そりゃ、自分こそが混乱期を収めたと思うだろうし。玄武門の変(クーデター)を起こしますね……
玄武門で幻聴が聞こえたので。ここにあるのは知ってたから、来るしかないね、というわけですよ。
馬の下絵が何枚も作られて。太宗本人が見て、これが良いと選んだものが浮き彫りになってる。なので、李世民本人のチョイスの、勇姿です。馬の名前は色が入ってるのが多いねえ。
赤は本物。

見にくいけど、矢が刺さってる。戦場の苛烈さと、それでも飛ぶように疾走した勇ましさを表現してる。
↓は複製です。本物はペンシルバニア大学にある。

この紫だけは人が一緒にいるんだけど、これが李世民の馬の世話をしていたおじさんなのかな。李世民は10代後半から20代後半なので、今の感覚だと若者ですが、当時の20代後半はもう髭を蓄えたおじさんかしら。
↓は白の、複製の拓本。こうすると見やすい。尻尾がくくってある。

サラブレッドと比べても、案外あんよが短い。
唐のごく初期は、やはり騎馬民族の血が濃いなあ。
聞こえるね……蹄の音が。
全部見たい人はネットで見られるよ。
https://beilin-museum.com/index.php?m=home&c=Lists&a=index&tid=114
この後も、別の棟に彫刻のパートなどもあるんだけどね、もう蹄の音の幻聴が聞こえ始めるわ、時間は押すわ、で、ぱーーーーっと見てギブです。
拓本の取り方
拓本を取るオプションなどもあるようで。おそらくそこの人がやってたやつなので、写真は出さないけどね。館内にも説明はあったけど、実際にやってるのを見ると、おおおおおおと思った。知らんやった…
- 碑文をきれいにする
- 紙を置いて湿らせて少し時間を置く
- 墨汁を、ハーバルボールの下が平らになってるみたいな形のにつけて、叩きこすりつける
























