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高松神明神社は高松殿跡! [2018年10月 京都・奈良 巡礼の旅]

姉さん、フラフラフラフラ歩いておりました。

なんというかね、平安時代の、堀川通りから東側、それも四条から北側には、今は路地になっていますが、「誰々さんが住んだ」エリアのオンパレードです。

お気に入りの公達はどなた?

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今はぽつっと町屋が残ってたりする。住宅地なのでそんなに撮影できないんだけど、楽しい。この直後に、「京都=モンコック(香港の繁華街。結構、やばいところ。なお、私は香港にはそれなりに通っていて、それなりに詳しい)」という経験を得たので、この後はほとんど路地歩きは減りました。その、京都=モンコック の話はまた今度。

そんなエリアをフラフラ歩いていると、「高松神明神社」というのが出はじめまして。

この前の日に御金神社に行きました。⇒二条城周辺:御金神社は小さいけれど、賑わってる!

この神社は観光客は多いんだけど、その周辺では氏子さんは少ないのか、小さな商店などに貼ってあるのは「高松神明神社」。へーって思ってたのが目の前に現れた。

高松神明社

「高松」で気付けばいいのにね、私。

先に現代のこの高松神明神社の話にしましょう。

ここ、手水舎が水琴窟になってて、すごく雅です。小さい神社で参拝客も少ないからこその雅さですね。人がぎゅうぎゅうにくればいいというものではない。

また、真田幸村の念持仏を拝領してここに地蔵尊を安置されています。(小さいから廃仏毀釈の嵐に飲み込まれずにすんだのでしょう)。

私がいた時(昼前)に何人か地元の方らしい参拝客の出入りがあったのだけど、社務所には人はおられず、御朱印は置いておくから300円お賽銭箱に、と書かれていたのでそのようにしました。

高松殿

ここ、「高松殿」の跡地でした。読めますでしょうか。

高松殿

醍醐天皇は子沢山(嵯峨天皇並みではないけれども)で、臣籍降下させた皇子たちが結構いるんですね。その一人が源高明。彼の本宅は西宮殿(右京)にあるけれど、当時の大臣クラスの人たちはたくさん邸宅がある。この高松殿はその一つだったのね。そう。道長の妻の一人「高松殿」ですよ。この人、源明子。高明の娘です。

私、「高明」の名前を見たとこで興奮しすぎて鼻血が出そうだった。

明子かよ!みたいな。鷹司殿(道長の正妻の倫子の方)跡(の近く)・土御門殿跡には行くつもりだったから、明子に引っ張られたー!って。

明子の同母弟は「枕草子」の「左中将」でおなじみの源経房。

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明子と経房のお母さんは「愛宮」の幼名を持つ人。生母は醍醐天皇の娘の雅子内親王。父は藤原師輔。藤原家の娘だけど幼名に「宮」がつくのは、生母が内親王だから。「宇津保物語」の「あて宮」「いぬ宮」でやったよね。

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この姉弟は実は貴種中の貴種だけど、幼い頃に高明が失脚して太宰府に流される(NOT藤原氏によくあること。藤原氏でもよくあること)。その後、父の高明は京に戻ってきますが、復権できずに死亡。

光源氏は須磨・明石を経て帰京して藤原氏(元の頭の中将。須磨まで!会いに!来てくれた!あの!頭の中将!)との政治闘争(?)に勝利し、准太上天皇に登る(頭の中将だって太政大臣になりますが)けれど、高明はそれのバッドエンドパターンよ。

明子は叔父(盛明親王)の養女になった後に、母方の従姉の東三条女院・詮子が明子を東三条殿の一画に住まわせて自分の娘のように(皇女のように)して弟の道長を通わせる。明子は道長とは従兄妹の間柄だった。経房は道長の猶子になる。

ま、この時代の貴族はみんな親戚だもの、って藤原さんは基本政敵の政治生命は断っていきます。道長の正室が明子ではなく倫子だったのも、基本そういうことなのかもしれない。

立て札に小一条院の話が出て来ますが、小一条院は三条天皇の皇子で一度は東宮になります。この人は東宮を降りる代わりに准太上天皇になって上皇待遇を受けます。上皇待遇なので女御がいて、この女御が明子の産んだ道長の娘の寛子。

ところで、源氏物語では光源氏が准太上天皇に登るのね。 後世、「源氏物語」と自分の人生を一部オーバーラップさせようとする人が出てくるんですが(「とはずがたり」の後深草院とか)、この小一条院が東宮を降りるころってまだ紫式部は生きていただろうし、物語が先なのか、現実とどっちが先だったんでしょうね。それとも、後世誰かに加筆されたのか。どのみち、現在我々の読む「源氏物語」は藤原定家の編集。

源氏物語から離れて、その後この高松殿はどうなるかというと、後白河法皇が即位するのもここ高松殿と書かれると、ほぉぉぉ!となりますね。

なお、このすぐ近くに藤原伊周の二条第・藤原定子の二条宮もあります。どちらかというと、目指していたのはこっちだったんだけど、明子か!!ってなって、すっかり探すのを忘れていた。

私は中関白家なら、伊周より弟の隆家が好きです。定子の遺児の脩子内親王が彰子の庇護から去るときに選ぶのが、伊周ではなく隆家の家なのもわかる気がする。多分清少納言も同意してくれると思うんだ。

京都って本当に重層的な都市です。

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