姉さん、何度も二条城に入ろうとして失敗しています。
開いてなかった・もう閉まってたの連続で、インターネット以前の時代の話でうちの親があまりガイドブックを読みこなすタイプではないからそうなるわけだ。

一人で京都に来るようになると、なんだかんだパスしちゃうの。
今回、ホテルが四条堀川なんで歩いて行ける距離です。で、歩いて行ってみた。入館料は600円。
二の丸御殿の欄間を見て!
二の丸御殿は、中を撮影させてもらえないのでここまで。

すごいわ。欄間の彫刻が。浮き彫りがすごいの。グッとね、出てくるんだけど、同時に掃除が大変そうだなって感じなの。そう思うけれど、すごいわああ。もう、ため息しか出てこない。
襖がどうの、って私は欄間ばっかり見ておりましたよ。
門に戻るけれど、この装飾も見てちょうだい!

キンキラキン!
今回いろんな建物に入りました。京都迎賓館まで含めてね。ここが一番わかりやすいゴージャスさだった。
御殿の中を歩くと鶯張りでキュッキュと鳴るのね。
鶯張りも、狙ってそうしたものではない、というけれど、すでに江戸時代には音がなるのはわかりきっていたはずで。私は鳴らすようにしたんだと思ってる。
理由?
お城だから。なんだかんだ言いながらも、城塞としての機能を持たせたわけよ。誰かが忍んできても、音がするので歩きにくいじゃん。
さて、再建されなかった天守閣より。

なんか田舎じゃん?って京都のど真ん中よ。
庭園をぐるぐると回りましたが、もう大満足。

上はiPhoneらしい絵だと思うけど、それなりに良いと思う。下は一眼。

10月21日でした。今年の京都の紅葉は遅めなんでしょうかね。どこもちらり、ほらりって感じでした。
葵の御紋を見つけたよ!
そして、この二条城は、信長が作った跡に家康が建て、家光が完成させた城なので、あるべきは葵の御紋。しかし、ここで大政奉還した後には明治政府は皇室のものにしちゃったから、菊なんです。

台風で、菊の御紋が落ちてしまって、下から葵の御紋が出てきたものもあるそうですね。
これは蔵なんですが。見て。

葵の御紋!おお!!!!!こんなのはやり直さなかったのかー。不徹底だな!って思ったの。
残念なのは、今回は遅いんで微妙に音声ガイドを頼むに頼めなかったことでしょうか。
さらに、同じ頃に入った、婚活デート中かなあ、という四十代くらいのカップルがいたのですが、男性の解説が微妙な感じで、さらに女性が全然聞いてなかったらしく、「さっきあんなに喋ったのになあ」と男性が言ってて、だから結婚できないのよ、って解説してあげたくなった。
最後に、みたらし団子(350円)を買って満足。

焼きたてホヤホヤだった。
さらにね、最後の「門に向かってください」の放送までいたもので、二の丸御殿の門と御殿の写真は綺麗に撮影できました。上に掲げた二の丸御殿の写真はそれです。
実は陽成院の冷然院跡がかぶる
実はね、この二条城。陽成院が住んでいた冷然院(冷泉院)跡がちょっとばっかりかぶってるんです。
あの陽成院よ。「つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる」の。
通じなかったらレッツ百人一首。
なぜか今回は怨霊・左遷という人たちゆかりの地に引っ張られるように行ってしまいましたが、しょっぱなが、陽成院だった、というわけ。
さらに、源氏物語の光源氏くん、母親(桐壺の更衣)から「二条」にある屋敷を相続してたのね。成人後にこの「二条院」を整備してここに本拠を構えます。若紫を誘拐してくる先もこの「二条院」でね、そう。そのモデルの一つとされているのがここと陽成院。
実は、ホテルへの帰り道に、信長終焉の地まで行っちゃったからなー。
マニアックにもほどがあるスタートでした。
この周辺に、陽成院だの、基経(陽成院の伯父。陽成院を退位させて光孝天皇を即位させた張本人)がいたのかーってしんみりしながら歩いてると、信長終焉の地でびっくりした。
ああ、これが京都なんだなあって思って歩いていたの。
二条城は、もちろん今回の私のように個人で行ってOK。さらに時間さえ合えば、ガイドサービスもあります。時期によってはライトアップまでやってる。
朝が早く夜の早い京都です。
午前8時45分~午後4時(閉城 午後5時)お休みの日も多いので、行くときはチェックしてね!
・二条城
この周辺で私が行ったのは、