五稜郭公園は無料で入れます。箱館奉行所と、五稜郭タワーは有料です。五稜郭タワーは、スペシャルチケットでも入れるようです。
KKday はこだてスペシャルチケット
箱館奉行所の防御のために、1866年に築かれたのが五稜郭。奉行所を出て、トロトロと歩き出すわけです。⇒箱館奉行所
五稜郭公園
五稜郭って歩いてみると、あんまり大きくないのね。西洋風の設計。ただし、細かなところに日本古来のものがあり、例えばこの石垣。

蘇州の城壁(ほぼ復元)や、広州で明の時代の城壁を見てるんだけど、またちょっと違うわよね。↓の左側はお堀。

松尾芭蕉は、東北で「つわものどもが夢のあと」だけど。あれは平泉でしたっけ。平泉はまだ行ったことがないけど、多賀城跡は草ぼうぼうだったなあ。
江戸時代を生きた芭蕉から見たとき、「つわものたち」は、戦国、さらにその前の義経の最期、奥州藤原氏を思うのかもしれない。2025年の我々にとっては、そこに明治維新も入るわなあ。
ほんと何年ぶりかで見たぞ、アカツメクサ。

うちのあたりでは、アカツメクサはあんまり見かけないのよね。
お武家さんの最後の戦いは、戊辰戦争ではなく、西南戦争かなと俺は解釈してる。西郷隆盛が熊本城を落とせず、自刃してお武家さんの時代は本当に終わるのかな。まあ、知らんけど。
しかし、「江戸時代」という徳川政権から新政府の薩長政権という変革の瞬間を思えば、これを終わらせたのは戊辰戦争、その最後が箱館戦争だった。
時流は大政奉還の段階で戻れないところまで来てる。大政奉還した徳川慶喜と江戸城無血開城した勝海舟は本当に賢い人たちだったと思う。会津の惨劇は惨劇としても、「戊辰戦争程度」なんだよ、他の国の内戦を思えば。諸外国の介入を許さなかったと言う点でも、あれほど賢い人たちはいなかったと、俺は思うのね。
ただし、尊王攘夷派に対する不満分子は存在するから、そのガス抜きが戊辰戦争だったかなと思うのは、ちょっと冷たいかしら。
会津にせよ、新撰組にせよ、時代の流れが読めてないと思うんだよ。会津はあれだけの死者を出しておきながら、松平容保本人は生き延びてて、ほんと松平容保は。そして新撰組は、お武家さんではない人たちが、お武家さんになれると思い込んだ感じが、あまりに学がない。お武家さん側は、貧乏くじだとわかって、無知の人たち(新撰組)に汚れ仕事を押し付けた感じがある。知らんけど。
俺は松平容保を一国一城の主としても、徳川政権の幕臣としても評価していない。世襲と儒教は悪。知らんけど。
処刑された近藤勇は、そこで捕まったんならしゃーないわな、と思う。しかし、土方歳三は箱館戦争での指揮を見ても、近代戦争を理解した人だったからなあ。なにも函館で死ななくてもよかったのではないかな。何しろ榎本武揚以下、旧幕府脱走軍の面々は、恩赦を受けてのちに明治政府で活躍するんだもの。彼らには、箱館戦争で敵対した新政府軍の参謀だった黒田清隆(薩摩)らが恩赦を求めてくれた。土方歳三が生きてたら土方もその中に入ってたのではないかなあ。
明治初期の彼らにとって、内部で闘争してる暇なんかなかった。能力のある人材がいれば、かつて殺し合った仲でも活用した。視座が高いんだよなあ、彼らは。
ただ、最後の箱館戦争で土方も死んだから土方と新撰組は半ば伝説になるのであり。近藤勇は責任をとらされて処刑されてるのに、副長だった土方が明治政府で活躍してたら土方はどういう評価になったのかな。とは思う。
それはさておき、箱館戦争後の黒田清隆は北海道の開拓に尽力するけれど、土方が生きてたら、おそらく土方には屯田兵の訓練をさせてたのでは?
箱館戦争は1868年69年。このとき土方は30代半ばなので。もしも土方が箱館戦争で戦死しなかったら1877年の西南戦争のときは40代前半。実際に新撰組メンバーでは斎藤一は西南戦争に従軍してる。
黒田清隆本人が西南戦争で屯田兵を指揮してるので、土方が生きてたら、その副官として西南戦争だなあ。その後、第二代首相の黒田清隆政権下で大日本帝国憲法が発布されてるのだけど、さすがにそこで陸軍大臣・海軍大臣はないか。(大日本帝国憲法に署名されている陸軍大臣は西郷従道、海軍大臣は大山厳。どちらも薩摩閥。そこにポンと逓信大臣として榎本武揚が出てくるんですよ。ほんと)
なんて思いながら五稜郭を歩いてたけど、あっという間に箱館奉行所の裏に。

最後に半月堡(馬出堡)、ここは城門の守備に当たる場所なんだが…思った以上にちっちゃいなあ。

2024年から中国ぶらぶらしてるせいで思うんだけど、中国のスケール感とは違うんだよなあ。城砦だからこの大きさで良いのかしら。
とはいえ、「あんまり大きくないのね」、という感想だったのが、台湾の台南の億載金城。ここも1876年に清朝が作った西洋風の城砦です。四角形の城砦。五稜郭とは10歳違いだわ。本土ではないからこの大きさだったとか?こっちは、レンガ造りです。それも中国古来の青みがかったレンガではなく、西洋風の赤レンガ。
函館市北洋資料館
ちょっと黒田清隆と土方歳三に引きずられたな、と思って。でも、五稜郭タワーに行くかと思ったら、どうも社会見学か修学旅行っぽい集団がおられて、うーん。タイミングが悪い。実はこのエリアに来たときも五稜郭タワーはチケット売り場に並んでるほどで、先にタワーはねえな、と思ってたの。
五稜郭公園の反対側に、北洋資料館があるんです。

行ってみるかというわけで。入場料100円。??だけど100円。

いろんな資料のデータが、なんかHey!Say!JUMP。昭和なの…館内で流れてたビデオも、昭和50年代のVHSをDVDにしたので画像が、って。もう少しお金を取って令和のデータを出してほしいよ…
とはいえ、蟹工船の「穏やかな北洋の航海」の体験コーナーがありまして、これだけで100円以上の面白さだから、もっとお金を取って良いよ。
ゆ・れ・る。たのしい!!!!!!!
あ、俺さま、病人だし元々虚弱体質だが、乗り物酔いは滅多にしない女。だれにでも何かしら強いところがあるってことだと思うwww酔う人は本当に要注意。
https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014010800367
五稜郭タワー
北洋資料館の向かいにバス停があって、もう少し待ったら函館駅方面へのバスが出るんだけどねえ。
いや、ここまで来て、上から五稜郭を見ないって手はないじゃん?

もしも並んでたら、バス停に戻る。もしも並んでなかったら上がる、と思ったら、並んでなかったから登ることにした。
おう、五稜郭。そりゃそうですよ。

下の階が売店です。

私にしてはちょっと珍しいかもしれない。函館山を見ながら、新撰組ソフト。ほんと、湿度が高いせいか、気温はあんまり高くないのに、汗だくになるし、火照ったまんまだからね…

あんまり評価してない新撰組なので容赦なくペロリといきましょ。
函館本線・いさりび鉄道の駅に「五稜郭」があるけど、五稜郭公園からはちょっと遠い。路面電車の「五稜郭公園前」もちょっと遠い。バス停に「五稜郭公園入口」があって、これがタワー側に一番近いんじゃないかと思う。
私は路面電車で「五稜郭公園前」へ。帰りは、函館バスで「五稜郭公園入口」で乗って函館駅に帰りました。