胥门 xū mén。
姑胥山(姑蘇山)に面しているから。

今の城門は元。元は水陸門だったけれど、ここは太湖が洪水したときに水が入ってくるのを防止する役割もあったので、宋・元からは陸門だけになった。元末の張士誠のときに瓮城(甕城・防御のために城門の前に半円形の構造物を置くやつ)があったんだけど、中華民国時代に崩してる。
https://baike.baidu.com/item/%E8%83%A5%E9%97%A8/10912577
甕城で私が撮影してるのは、韓国の水原華城の八達門だねえ。⇒水原伝統市場で唐辛子の山を見る
ところで、姑蘇山とは。「闔閭の時代に姑蘇山の上に姑蘇台を築き、夫差はそれをさらに高くした。越が呉を破ったのちに姑蘇台を壊した。隋の宇文述が呉州を平定したのちに、姑蘇山から名前をとって蘇州とした。」ですって。https://baike.baidu.com/item/%E5%A7%91%E8%8B%8F%E5%B1%B1
盤門から歩く
ここはちょっと不便でね。蘇州の城門の周辺は、歩けるようになってるんだけど、地図で見る限り、南側に向いた盤門から角を曲がって、次の西側を向いた胥門までが一番歩きやすそうだったので歩いてみた。(胥門からはバスで抜けた)
↓なんかさ一番「江南」って感じの写真が撮れた。

↓万年橋

百花洲公园に入るんだけど、結構疲れた…足が…。ベンチで休み休み歩いたんだけど、妙なまでにロシア語系の言葉を喋る若い子たちとすれ違ったのよね。

そして、たどり着く。

伍子胥だって。
伍子胥を讃えるか悼むんだと思う。漢詩の石碑がたくさんあった。

歩けなくはない
歩けなくはない距離です。