黄鶴楼から10番のバスで、長江大橋を通って、遠くに漢江が長江に注ぎ込むところを見て。次に渡るのは漢江…胸がいっぱいになりながら。⇒黄鶴楼
さて、武漢博物館へ。湖北省博物館は前日までに予約必須だけど、こっちはいらないのよ。なんかねー情報が少ないんかしらね、英語でサーチすると武漢博物館と湖北省博物館をごっちゃにしてるものがいくつもあるんだけど、別々です。ここは漢口駅の近くにあります。
手荷物検査のところで身分証をかざせってあるからさ。係にパスポート見せたら、「こっち歩け」って、パスポートの記録すらなかったぞ。良いのか?

武漢古代史をざっと
商以前の石器時代のものから。楚と呼ばれた時代。やはり私は三国時代のものに興味を持っちゃう。
まずは商の時代の、盤龍城遺跡。

宮殿は、前と後ろの二つの建物を使うスタイル…この時代の青銅器や土器、玉器もたくさんあったよ。
例えばこれ↓は周の時代の雰囲気より、荒々しい感じがするよねえ。そういうことしか言えないけどさ、俺は。

参考までに、湖北省博物館の↓戦国時代のものです。

デザインに柔らかみが出る。(柔らかな時代だったとは言わぬよ…何しろ「戦国」時代だから)
他には、戦国時代(中国の、だよ、当たり前だけど。BC221年に秦によって統一される前の)の。

なんかこの丸みに、あんまり見覚えがなくて、すごく新鮮だった。次に行った湖北省博物館でうんざりするほど見ることになるけど。
漢の銅鏡↓

左側のデザインは、広州の南越文王のところでも見たなーって。銅鏡を何枚もそれなりの量を見てると、三角縁神獣鏡のデザインって…???って異質な気がするのは確か。ただし、これらは実際に使ったもので。辺境の地に権威を示すために贈られたものではないから、使用目的が違うんだよね、多分。だからデザインが違っても変じゃないんだけどさ。って知らんけど。
さて、呉。三国呉、孫呉、東呉。孫権の呉です。三国志ですわよ、奥さん。ああっ!鼻血ぶしゃー!

後漢くらいから、この地域の豪族はこういう↑感じの要塞みたいなのを作ってたって。少年時代の周瑜は、孫策の噂を聞いて会いに行き、気に入って家に招いて住まわせる。周瑜の家は、武漢周辺ではなくて、揚州まで西に行くんだけど、長江流域であることは変わらんし。揚州は盧江の名門だった周さんちも、こんなのだったのかしら…(妄想なんで、そこんとこヨロ)
三国時代の働く人々。↓は…うし?


呉のものってこういう感じの、多いよね。三国時代のものに関しては、湖北省博物館よりも武漢博物館の方が充実してたよ。文物ではなく、歴史の説明としては湖北省博物館の方が充実してた。どっちもいけ。タダだ。
さらに時代は降って、南朝。

花のデザインがきれいねえ。
唐になると、あの呉のお人形さんたちとはうって変わる。

写実的なのよね、唐は。騎馬民族契丹が漢化したのだという話だけど、唐のものではいつも馬が見事だと思う。大抵馬の俑を撮影してる俺。
元時代の景徳鎮のものとか、いろんなのがあるけど、集中力が切れるというか…足も疲れるし…まあ、興味を失っていくと思ってくれていい。
これがなあ、ひょんなきっかけで宋に興味を持つようになったら、キー!!あのとき!!とかなるんだが、それはもう、杭州(南宋)でカバーする。あ、2025年中にいく予定です、杭州。開封(北宋)は今年は厳しいな、多分。明だったら?南京北京、いや台北で。みたいな?元も、鮮やかな色使いするんだなあー、なんて上海博物館で思ったんだった。やるしかないか、北京。北京は手荷物検査が超絶厳重と聞いて(中国人が参ったってアップしてたの見た)、行く気なくしたんだけど。
はい、清。なんでかな、台北の故宮博物院で散々見たせいなんかなあ。清の玉器を扱う技術って見事だよなあって思ってたんだけどさ。これまたすごくない?↓

確かに、湖北省博物館の方が物量としても「すげ…」って圧倒されるけど。こちらは人が少ないのもあって、結構じっくりと楽しめます。三国時代のものは、ここの方が多いと思うし。最後の方、実は社会見学っぽい中学生くらいの子たちが来て、うんざりしたのもある。中学生で興味のない子を連れていくと、どこの国でもそうなるわね。中には目覚める子がいるだろうけど。