陕西历史博物馆秦汉馆です。その名の通り、秦と漢がメインで。本館が唐!!!なのに対してこちらは、唐ってなんだっけ?みたいな態度です。4時間くらいいたみたい。

空港から14号線に乗るじゃない。秦宮駅の近くに行くと、ドーンと見えてくる異様な建物……それです。行き方に関しては、下に書きます。歩けなくはないと思う。
入館について
今後どうなるかわかりませんが、2025年10月19日以降は予約不要です。中も平日だからかな。ガラガラで、ゆったりと見た。
10月の西安は、日本から行くと肌寒いんだけど、暖房はほぼ入ってない状態でした。ここは、展示品との、というよりも単純に暖房が入ってなくて人がいないから、というガランとした寒さ。
客引きするガイド
内に入ると、お嬢さん、ガイドいらないかい?とニヤニヤ言ってくる、いわゆる油腻(油っぽいという意味で、良い意味は決してない)なおっさんが何人もいるけど無視。本館にはいなかったと思うのだけどなあ。
次の日に華山北駅で客引きに付きまとわれるんだけど、あそこまでの付きまとい方ではないねえ。
防犯という意味でも、しつこく客引きするガイドは無視に限ると思う。
でも、見てるとそいつらにガイドを頼んでる人もいるので、わからんねえ。音声ガイドのところの係に日本語あるかと聞くと、やはりなかった。英語ガイドがあっても、漢字じゃないと何が何だかわからんわけで。
他のところで、英語ガイド、日本語ガイドが説明しているのを聞いたけど、大したことは言ってなかった。
兵馬俑では、道案内用に雇うべきだったと思ったけど、この博物館ではいらないと思う。広いけど混み合うわけでもないし。複雑でもないから。
私のように博物館でがっつり、自分のペースで、という人には、先に新書レベルの本を読んで予習して行く方が楽しめると思う。
読んでいくべき本
時代的にはこのあたりを読んでいくと、よりイメージが立ち上がってくると思う。
秦漢に至るまで
ここは西周の地だから、そこもガッツリやると期待してたら、戦国時代からのスタートです。えええええええ!?!?!?!?
秦が東へ東へと遷都を繰り返してやってきた話とか。そんなのはかなりあった。そうか、西周無視するのか……西周に関してはむしろ本館の方ががっつりやるくらいで。⇒陝西歴史博物館は予約が取りにくいので、壁画チケットを買って入場
ここは本当に秦漢館で、それ以前は帝国秦に至る前振り、みたいな。
でも、その前振り()部分でもお宝があるのが、この場所よねえ。まず杜虎符(戦国秦)。本館にもレプリカはある。

らんやーばんで、誉王の反乱のときに反乱を鎮圧するために、軍を借りてこないとならないので、靖子がペンギンに虎符を借りてくるでしょ。
ペンギンが「え……靖子チャソったら、そのまんま返してきた……」って動揺するんだけど、これがあれば全軍を動かせるんですよ。だから、何も言わずに返してきた靖子にびっくりしてたわけ。
ドラマに出てくる虎符のデザインの元はこれでしょうね。
ただし、これは全軍を動かせるようなものではないようです。
秦(帝国)
ここには兵馬俑系はそれなりにあるので。もしも…西安トランジットで時間が読めない車は…みたいなときは、兵馬俑に行ってしまうのではなく、こっちでも十分ではないかと思う。数体だけだけどいらっしゃる。他にも馬や青銅の仙鶴や女官などもいらっしゃる。

さて、石のよろい。これは本物だった(と思う)。本館にもレプリカがあるし。兵馬俑の博物館にもレプリカがあったと記憶してる。⇒秦始皇帝陵及び兵馬俑坑。驪山園には行けずじまい

本当にこれを着てたらめちゃくちゃ重いだろうな……
もちろん、度量衡の統一は始皇帝の功績の一つ。なので、統一するためのもの。

前漢
お宝というよりも、俺さまがうぉー…と思ったのがこれ↓一瞬、なんで自然史パートのない歴史博物館でキイロスズメバチの巣!?と思ったけれど、陶器です。

兵馬俑に色つきのものが出てる(たくさん見た)ので、その次の前漢も200年あるからさ。末期ならますます色がついたものが出てくる可能性が高まるのはわかるの。
しかし、日本から来た俺さま。漢……みたいになった。胸熱。妙なところで胸が熱くなるよ、今回は。
庶民のものだとはいわないけど、色をふんだんにお使いで……
前漢の兵馬俑。兵馬俑そのものは、始皇帝の前にも後にもあるんだけど、大きさがと規模が空前絶後。例えば前漢はミニサイズだし、顔立ちにあんまりバリエーションがないんですよ。足も作ってもらえてない。

↑の後ろにちらっと見えてるのが、始皇帝の馬だと思うけど、大きさを比較してみて。
お金のコーナー。ほんと、きれいに残ってるもんなあ……

一回ざっと通史的に把握した後に、お金の話としてこれを読んでおくべし。角度が変わる。
鳥さんのランプ
あれ?どこかの博物館でクソ真面目な顔をした女官がランプを掲げてるという形のランプを見たと思うんだけど。写真にないな。

世界史図録にも出てるクソマジめな顔した女官の。あれは煙や煤が出てこない形になってるんだけど、これはそれの鳥型。
皇后の璽
皇后之璽。白玉の、あんまり大きくないやつです。

一応西漢と書かれているから、前漢のものだろうけど、出土品なんですよ。
前漢では、王莽に禅譲するように迫られた王太后は、伝国璽を投げつけ、床にあたって欠ける、とされる。その後、前漢では皇后之璽は?王太后が捨てたの?
その後、後漢が成立するけど、光武帝最愛の人、陰麗華はこれを使わなかったってこと?光武帝は長安にこだわらず、洛陽に都を作るけど、長安に生涯で一度も行かなかったということはないだろうし。陰麗華は結構光武帝と行動を共にしてるんですよ。
https://baike.baidu.com/item/阴丽华
もう一人、後漢の皇帝と長安と言えば、最後の皇帝、献帝ですよ。
献帝には皇后が二人いて、初めの皇后が伏寿。伏寿没後に曹節(曹操の娘)。
献帝は董卓に連れられて長安に行ってる。同じ年に伏寿は献帝の貴人になってる。そして皇后に冊立されるから、その場所は長安。献帝の長安脱出のときには一緒に脱出してるんです。二人は曹操の手に落ちて許へ。
https://baike.baidu.com/item/伏寿/4995955
なのでね……伏寿の手元に皇后之璽があったと仮定したら、長安を脱出するときに失った説もあっても変じゃない。ただし、そもそも伝国璽を洛陽におっことしていく董卓一行なのでねえ。洛陽ではまだ皇后になってない伏寿の手元にあるとは思えないし。やはり後漢の皇后のものではないんでしょう。
伝国璽は、後漢末期に董卓が洛陽を捨てるときに捨てられて、孫堅が見つけ。孫堅没後に息子の孫策は袁術にこれを渡して兵を借りて独立。袁術滅亡後に見つけ出された伝国璽が献帝の元に渡り。兄の曹丕に禅譲を求められて妹の曹皇后が投げつけ……ということになってるわけですよ。(三国志ヲタの常識)
一応、百度によると、遡ると呂后のものでも変ではない。変ではない。おおおお!呂雉か!ならば、代々受け継ぐものではなかったのかもしれない。
https://baike.baidu.com/item/西汉皇后之玺
前漢の、シルクロード
古代ローマのコインが出てくることがあるのだ、というのもあるけれど、そんなもの(?)よりもこれ。

お船。未央宮の近くを走る、というイメージみたいですが、この船(結構な大きさです)には、古代ローマの技術が使われているのだとか。ここもグッとくるポイントだった。
金餅
中国に複数回行くと、好きか嫌いかは別として、中国式の管理にある程度合理性があるね…ってなる。
博物館なんて学問の自由ど真ん中だから、は!?パスポートの登録!?(人民は二代証の登録)と思うよ、確かに。
しかし、中国の博物館は金がゴロゴロしてるの…
そう、パリの自然史博物館で展示されていた金塊のあれ、中国人だったでしょ…
https://www.asahi.com/articles/ASTBP63Q5TBPUHBI02YM.html
咸陽・西安は都だったことが多いじゃないですか。陵墓も多いんですよ。

これは本館の方にも同じくらいあった。
実は、今回そんなに金が展示されてないなあと思ったの。咸陽・西安周辺は、皇帝の陵墓が多いから、盗掘されやすいんじゃないかなあ。逆に地方で忘れられたお墓の方が盗掘を免れてるのでは?というやつ。
広州の南越王博物院でね。たまたま特別展で劉賀展やってたんです。この人は、前漢の武帝の孫に当たる人で、一度即位するけれど引き摺り下ろされた。その後に即位したのが、中興の祖、宣帝。宣帝は劉賀を殺したりせずに軟禁状態で一生を終えます。これに貸し出されてた金の量がすごかったのよ。⇒広州:西漢南越王博物院
文字に対する執着
中国人、現代中国人という意味ではなく、漢民族と言った方がいいかな。彼らの文字と記録に対する執着って、とにかく……碑林博物館も執念深さを感じるけど。こちらでは、執念深さというよりも、なんちゅうか、「漢字を発明した漢民族SUGEE」やってるのは確かだけどね。
俺たち日本人がはっきりと読めちゃうやつもある。

粥用の米ってわかるじゃん?
建物
秦漢館なので、始皇帝陵に関する説明もちょっとあったけど、メインの解説は、前漢、そして陵墓。
↓建物の構造の説明のところにあったんだけど、蝶番!!!!!は!?!?!?!?この時代にもうあったの!?と。

時代は前漢だったと思う。
中国ドラマ、特に仙侠もの(中華ファンタジー。仙人とか神さまの戦いの話)に出てくる建物の装飾の元ネタ見つけた。

春秋!!!!!装飾だけでなく、接木の補強も目的だったっぽいですよ。現代でも釘隠しは装飾的要素を含むし、みたいなことを思いましたね。
陵墓より
茂陵=前漢の武帝の陵墓。そばのお墓から出てきたものなので、武帝本人のものではなさそうです。西汉鎏金银竹节铜熏炉。本館にはレプリカがあるやつ。

1mくらいじゃないかなあ。結構な大きさ。メッキとはいえ、すごい細工だと思う。
https://baike.baidu.com/item/西汉鎏金银竹节铜熏炉/2838055
食堂
二つかな?食堂があった。日本から行ってる(1時間の時差)のと、少し早めにするか遅めにするかしないと、混雑してる時間だと、と思ったの。ここ、エリア的に食べるところがないからさ。

パリパリの皮の「も」が好きでやんす。
秦宮駅から
駅から歩けない距離ではないんだけど、1元のバスが出てるので、往復ともにそれを使った。(IC交通カードで払える)↓の写真の奥の普通の路線バスです。
手前に博物館の近くまで行きますよ!という3元のがあるんだけど。いやあ、公道をこんなのに乗るのは嫌だよ。

こいつが、博物館の敷地のすぐ外で延々と、自動音声で「秦宮站まで一人三元!」と繰り返してて、外を歩いてるだけでイライラ。あれが入れると言っても、このあたりまでなので。↓安全性という点からも、乗らない方がよろしいかと思いますね。

実は……空気が綺麗な日に行ったのは、もともとかなり歩くつもりだったんです。近くに「秦咸阳城咸阳宫国家考古遗址公园」(原っぱだろうとわかってるけど)や「汉惠帝安陵」があるので。恵帝とは前漢の二代目。
実は本館で秦漢館行き・惠帝安陵行きのシャトルバスの乗り場があったんです。人も並んでたので動いてるんだと思う。秦漢館を経由して惠帝安陵に行くのかなと思って。しかし、こっちにくると、本館行きのシャトルバス乗り場的なものも見当たらない。
徒歩?と思うと、いやそれがぐるーっと回る必要があるし。もともと田園地帯だったところに作ってるっぽいので、道は新しくて歩けるのでは?と思って少し歩き始めたけど、高徳は駐車場を突っ切らせたり、GPSの精度が悪いのか、案内がちょっと怪しい。
もう午後だし。日暮は遅いけどステロイド切れ(持って歩いてるけどあまり変な時間に摂取したくない)を起こしたりしたくないし……滴滴の出番?うーんとか思って……帰ることにしました。
映画館行こ、と思って、時間が良さそうなところに行ったんだけど、ちょっと建物が不気味で。薄暗い時間にここを通るの怖い…と思って、結局映画も見れずじまい、だった。

























