オーストリア女子がハルシュタットで私を連れてきたかったのは下にある細い塔の教会ではありませんでした。
⇒細い塔の教会にはオーストリアなのに、例の人の肖像画がある!!!ということは?
「あそこに行くよ」
指差した先に何かあります。教会です。
是非登って

ハルシュタットの街は湖沿いに建物があるのですが、それだけでは生きて行けません。
崖にへばりつくような家が多数あります。
その崖にへばりつくような家々を縫うような細い道もあります。
「こっち」
ねーえ。いつもどこでもベンチが置いてあるじゃん、オーストリアって。ベンチはどこ?

墓地
ラブリー❤︎ではないのです。ここは墓地。
死後、ヨーロッパでは土葬にします。ハルシュタットでは10年後にそれを掘り起こし、納骨堂(Beinhaus)におさめられます。単に収めるだけではなく、その際に頭蓋骨に模様を書くのです。花柄とか。それぞれ個人の生前の性格などに基づき、意味がある絵柄なんだそうですよ。大腿骨かなあ、太い骨は下に組んであります。1.5ユーロくらい支払ったのですが、メモがありません。
写真を撮って良いということだったので一枚撮りましたが、出すのはやめておきます。びっくりするけれど、気持ちの悪いものではなくて、なんというか。厳かなのだけど綺麗な模様が描かれているせいか、外のお墓が花いっぱいの季節だからか、悪い意味ではなく「死者」というよりも「先祖がそばにいて、そこで生きる」というような感覚を覚えました。
おそらく埋葬地が少ないのでそのような埋葬方式にしたのでしょう。今でもこの地域の人がそのようにして欲しいと遺言を残せばそうしてくれるようです。
教会
教会のほうに行ってみましょうか。
壁画がありますね。こっちは十中八九カトリックではないかと思いました。
中に入って確信します。まずゴシック建築であること。

カトリック教会の儀式を見ると旗を持って歩く人がいるでしょ。あんな感じの旗も飾ってありました。どうみてもカトリック。
しかし、クリスチャンではなくても、ハルシュタットの教会はどちらも敬虔な気分になるところです。
「ほら、さっきの猫だよ」
「下の教会にいた猫?」
「うん!」
「へえ・・・」
信心深い猫だ。
上から下のプロテスタントの教会を臨みます。
船着き場がありますね。対岸の駅からの船でしょうか。クルーズでしょうか。乗りたかったな。
教会と、家々と。
カトリックの教会の素敵なところは、こういうちょっとした装飾。

豪華ではないけれど、こういうものを見るのが(実は)とっても好きです。
狭い土地に、プロテスタントとカトリックがいる
こうして見ると、プロテスタントとカトリックの教会がこの小さな場所にあるわけだ。
かつてプロテスタントとカトリックは宗教戦争を繰り広げました。神聖ローマ帝国崩壊後、プロイセンを中心としたドイツ帝国とオーストリア帝国(後、オーストリア=ハンガリー帝国)に分裂します。ドイツとオーストリアのどちらもを含んだ「大ドイツ」にするか、プロイセンを中心にした「小ドイツ」にするのかで一悶着あります。ビスマルクはオーストリアを追い出した「小ドイツ」としてドイツ帝国を成立させます。理由の一つがプロテスタント国家としてのドイツとカトリック国家としてのオーストリアの違いでした。
非キリスト教文明に属する我々には理解しがたいプロテスタントとカトリックの違いは、彼らにとっては非常に大きいものだったようです。質素倹約を旨とする勤勉なプロテスタントと華美を好むカトリックと、思考体系が異なるのでしょう。
そこまでは世界史、文化史的な、マクロの視点です。
ハルシュタットという小さな地域、ミクロの視点ではどうなのでしょうか。牧歌的に仲良く暮らしたのでしょうか。めでたしめでたしではないのが人間の世界です。
カトリック教会は不便な崖の上にあります。プロテスタント教会は船着き場のそばにあり、広場に面しています。おそらく、このハルシュタットにおける主流派はプロテスタントであったのではないか、と推測しました。
しかし、カトリックを排除することはできません。ハルシュタットのプロテスタントの人々こそこの地域ではマイノリティなのです。一触即発の状態をバランスを保って生きてきたんじゃないかな、と想像しました。
こっちの教会は、Katholische Pfarre Hallstattという教会です。