この日本人村行きはメディアツアーに含まれていた部分で、私は負担していません。
誰が捧げたのか、花が手向けてあった。
豊臣秀吉以降のキリスト教の禁教化と弾圧により、キリシタンの一部は国外に出ます。その先の一つがここ、アユタヤ。
チャオプラヤ川の近くに日本人村はありました。貿易でなかなかの財をなしたんだそうですよ。
しかも、考えてみれば豊臣秀吉による天下泰平の直後ということは「実戦」的な連中もまだまだたああくさんいただろうし。アユタヤ王朝はミャンマーと戦争をしていたようですからね。天下泰平どころか、大坂城落城後、武闘派が役に立ったであろうことは想像に難くない。ひょっとしたら、私の祖先のいとこくらいもアユタヤまで来ていても変ではない。
家光くらいの頃には山田長政という人がアユタヤ王朝に仕えて、なかなかの地位まで上り詰めたというのは、有名な話。
当時のアユタヤの交易路、東は日本、西は中東から アフリカを周る。
スエズ運河がないことを除けば、すなわち現代でも海上交通ルートの一つだし、もっと言ってしまえば、中国の「真珠の首飾り作戦」そのものですね。ただし、今はチャオプラヤ川を上ってアユタヤまでは来ないと思うけれど。
復元か何かだけれど、タイのシルクに日本の意匠。
すごく素敵でした。
もう一人の日系人、ターオ・トーンキープマー。Maria Guyomar de Pinhaという名前の人なのだけれど、日系・ポルトガル系の女の人。
ポルトガルのお菓子をタイに伝えた、という話。
で、ですね。このお菓子によく似たものが長崎にあるんだとか。いやー、知らなかったわ。
他にも日本人村からの出土品がいくつか展示してありました。
日本人村は、アユタヤ王朝に攻められ、事前に察知した人々は逃げて行ったりと、かなりあっけなく終焉を迎えたようです。そして、タイに同化していったのでしょう。
そして、現代。日本人村周辺にはほとんど何もなく、ツアーでなければいけるようなところでもないな、と思いましたが、中はそれなりにきれいにお手入れしてあるのです。
あら、竹!
かわいい花が咲いていました。
入場料は50バーツかかるようですが、なかなか手をかけてある印象なんですよね。
行き方など
個人的に、ここは私はツアーで連れてきてもらう以外には難しいのではないかと思うのです。もしくはタクシーを1日借り上げてしまうか。
私が個人で行くなら、レンタサイクルかなあ。ただし、道がどうなんだろうね・・・。渋滞してないけれどなんか怖そうだな、という印象です。
・日本人町跡(タイ国観光庁)
・50バーツ
この日本人村行きはメディアツアーに含まれていた部分で、私は負担していません。