さて蘇州で一番初めの観光地は虎丘(Hǔ qiū)。

武漢の黄鶴楼を引き合いに出さずとも、石段をのぼるだろうから、足元が濡れたらアウトだな…ということで、晴れてるこの日に行きました。
呉王闔閭とは
この、虎丘は蘇州を開いた、呉王闔閭(こうりょ/こうろ)の墓とされるところです。
はーい意味不明という人、オッケー。
武漢で、越王勾践剣でハァハァしていた俺を思い出そう。
越王勾践ときたら、呉王夫差。夫差は父親が勾践に破れてその結果死んだので、この仇をうつと決意して…が臥薪嘗胆の臥薪部分。そして夫差に破れた勾践は、この悔しさをわすれまいと…が臥薪嘗胆の嘗胆部分。
だから、闔閭はどこで出てくるんだって?夫差のパパだよ。
越王が死んで太子の勾が践立った。良い機会と闔閭は越に攻め込んで負けてお亡くなりに。これを自業自得というんじゃなかろうかと思うんだけど、この人ですよ。虎丘に葬られているとされるのは。
実際のところは知らんですけどね。
闔閭ゆかりの場所としては、剣を愛した(剣の話が史記に出てくるよ)闔閭のために、夫差は1000本の剣と一緒に…という、剣池があったり。このあたりはすっごい人だかりになってて、写真を撮ってない。
夫差がえっちらおっちら墓を作るわけがない。秘密を守るために、作った人たちを処刑したとされるところとか。
そして、闔閭に仕えていたのが、孫武(そん・ぶ)と伍子胥(ご・ししょ)。このトリオに夫差を加えた4人は今回の蘇州旅行で何度も出てくる予定だよ。虎丘にも、孫武の廟が作ってあった。
虎丘雲岩寺塔
虎丘の上に、雲岩寺塔というのがあるけど、これは仏塔です。
さーあ。中国に仏教が伝来したのは?諸説あるけど、文献上最も古くに現れるのが、洛陽の白馬寺。一応、後漢の明帝(後漢唯一?の名君として知られる)の時代とされる。
えっと。闔閭は…?春秋時代だよ。もっと前だよ。
闔閭のために夫差が建てたものではない。この塔の完成は961年、北宋の時代とされてます。
南門から入った
今回私が入ったのは南門側です。地下鉄の駅が近いのがこっち。山塘街から来る船はこっちっぽかった。
山塘河は、唐の時代に白楽天が造らせた運河です。私は一部だけ乗った。⇒寒山寺から山塘街へ。運河クルーズ

そして。確か南門だと思う。

入場料は70元。パスポートチェックはなかったなあ。
坂道や石段を登ってると、コスプレした人たちがいたり。社会見学らしい小学生の集団がいたりなんともにぎやか。
ところで、私は中国のおばちゃんやおばあさんたちの甲高い声が苦手なんだなと思いました。あの人たち、同じ音域で喋るよね…
剣池の反対側かなあ。

蘇州に来てびっくりしたんだけど、どこも水があまり動かないからなんでしょうか。澱んでて汚いんだけど、ここは上から水がちょぼちょぼ入ってきてて、多少きれい。でも俺のアッターゼーため池の方がきれいそうだよ。
そしてえっちらおっちらのぼって。

塔に到着。3度くらい傾いてるという話。実は。近いとよくわからんねえ。
南側はうるさいんで…北側に降りることにしました。多少は静かだったよ。

だからそこまで高いわけじゃないけど、それなりに段があるので。
人を、あいぽんのクリーンアップで消してみたけど、↓バッグが残って心霊写真状態よwww

暑いわ…舟に乗ろうと思ったけど、なんだ、丘の周辺を回るだけか。

20元で電動車に乗って南門に行くのもいいかなと思ったけど、まあいいやとそのままでました。

こっち側にはバス停があって。バスの本数は少ないけどね。バスに乗って外の景色を眺めながらの無計画旅へ。記事にはしないんだけど、通った桃花塢周辺がすごくいい雰囲気(=ローカルな生活臭たっぷりな場所)だった。
この周辺について
やろうと思えばこのエリア(蘇州駅よりも北西から西側)は、一気に回れなくはないなあ…と思ったよ。運河クルーズと公共交通機関と滴滴などを組み合わせればええんちゃいますかね(知らんけど)。記事は↓のとおり