华清宫 huá qīng gōng。白居易(白楽天)の「長恨歌」の舞台の一つです。「長恨歌」は高校でやったよねー。
「西安」の写真に黄色い壁が出てくることがあるけど、多分ここのこれだな。

ただし、花は造花かもしれない。↑は運良く人がいないタイミングだったけど、わかると思う。記念撮影すんのよ、ここで。譲り合うの。なのであんまり近づけなく、造花かどうかを確かめるだけの時間はなかった。
ここもまた、ネットを見てると中国人的に「高すぎちゃん!お風呂しかない!」って書いてるんだよね。春節の後くらいに行けば、おお、長恨歌…だけど空気が汚いだろうから、無理です。
ロケーションは良い
地下鉄の華清池駅からすぐです。ロケーションは良いのよ。
ほんと、好きよねえ、この手のでかい像……

暗君ムーブ中の玄宗と、楊貴妃。
ここから上に上がっていきます。で、チケットの引換が要らんかな?と思って携程で買ったら、チケットを引き換えないとならなくて、わかんなくて準備中だった売店でお茶を買いがてら聞いたら、向かって右側の入り口です。120元。日本円で決済したいなら、Trip.comにも出てた。
この日は曇り。山がガスってる?PM2.5?特に呼吸器の悪い私が、大気汚染だなと思うわけではないんですね。だから、ガス&PM2.5という感じ?
上の驪山のケーブルカーに乗るつもりでしたが、諦めた。
華清宮とは
この場所は、周・秦・漢と温泉地だったけれど、唐の時代に大規模に改修し(おそらく太宗=李世民だな)、玄宗時代に「華清宮」とした。自分用と楊貴妃用のお風呂を作ってるんです。
「長恨歌」に「春寒賜浴華清池」(春は寒くして華清池で浴するを賜まふ?それとも、春は寒くして浴するを賜まふ華清池?)と詠われた場所。
玄宗と楊貴妃から飛んで。
明清時代に温泉地として再度整備された模様です。↓は結構お風呂遺跡の近く。

いろいろ建物も作ってある。庭園としては、清代のものに手を加えている模様。
華清宮には入ったところに結構綺麗な感じの庭園もあるけど、やはり洗練度は低いし、撮影大会になってるんで、人を消すのも面倒だから出さない。
西安事件の舞台
実はここが西安事件(中国語では『西安事変』と書くことが多い)の舞台です。いきなり近代史になったね。ついて来れる?張学良らが蒋介石を監禁した事件です。直後、逆に張学良は蒋介石が亡くなる1975年まで軟禁されることになるんだけど、本当に意味不。
とにかく、西安事件の後に国共合作。もしもあそこで張学良が蒋介石を殺害してたら……どうなってたかは不明です……宋美齢政権だったかもしれない。
https://baike.baidu.com/item/西安事变/29897
今はテーマパークだね。中国のインフルエンサーが行かなくていいというのも理解できる
ここは今でも温泉地で。日本人だったら絶対足湯コーナー作るよね。有料のなんか入浴コーナーか何かがあるようで。
ホテルもあるようです(この奥何?って立ってる従業員らしい人に聞いたら「酒店だよ」って言われた。ベルさんだったみたい)が、なんつーか。そうだな、テーマパークだな。中でいろんなパフォーマンスもあります。
例えばこれ。↓花車に乗った人たちが、音楽に合わせて踊ってた。さすがに、踊ってるときは、人が多すぎて。音楽が止んで、踊り終えた後。

後ろについて行く人もいたけど、消してる。
この直前の曲はね、「剣心」だったよ。時代が違うやんか、あれ、李一桐が黄蓉をやった射鵰でしたよね。舞台の時代は南宋。
西安は、テーマパーク化したいのかなあ…と思うことがよくあったけれど、なんかそんな感じ。テーマパークのパレードを見る体力的な容量はない。大唐不夜城に行かなかったのもそういう理由。
御浴遺跡
お風呂、お風呂お風呂。これが目的地。フラフラ歩いてると、御浴遺跡。これよ、目的は。ここは、建物は一つずつになってた。
レッツゴー。
初めに入ったところは、高官たちが使うことを許されたお風呂。そっか。人が多かったのかな、どうやら写真を撮影してない模様です。
次、私はここで胸がいっぱいになっちゃったんだけど、唐の太宗、すなわち李世民のお風呂です。

なんで胸いっぱいになっちゃったかって?↓見て。

ここからは秦時代のものまで出てきたんだって。始皇帝もしくは二世皇帝が使ったのかしら……ひょっとして、前漢でも改築しながら使ってるのかな……
ここが一番大きい建物でした。結局今回の西安旅行は、前漢が目的だったんだけど……感覚としてあまり収穫がなく。とにかく、李世民の気配を感じる旅行だった。出発直前に「貞観政要」を読んだせいもあるんだけどねえ。この後幻聴を聞くことになるしねwww
源泉ですって、二つ見られるようになってて、42度だ、とか。水質についても書いてあった。

しかし…どちらも見たところ、少なくともこの瞬間はお水じゃね?だった。
はいはいその玄宗のお風呂。なんか演出まであるし。

そして、近くに楊貴妃のお風呂。これは海棠を模してる。

中国ドラマの後宮ものだと、寵愛を受けます!というときにお風呂に入るシーンがあるのを思い出した。現代日本の浴槽よりは大きいですけど。
ほんっと、近いので。じいさんが自分のお風呂のすぐ近くに寵愛する貴妃のお風呂を作った、と考えて欲しい。
距離感こんな感じ↓広角で撮ってるから歪んでるけど、距離感はわかるよね。

左が高いし玄宗、右が楊貴妃だったと思うけど。
きも。
西安として推してるのは、玄宗みたいだけどあいつは小物感すごくない?とにかく「長恨歌」がなかったらただの暗君として名前を残すだけじゃん。Produced by 白居易よねえ。白楽天は偉大なり。
さて、次行こ。
西安事件の舞台 五間庁
中国では、西安事変と書くみたいですね。門を潜るんだけど、この先の五間庁が清時代の庭園ってことなのかしら。

建物の雰囲気がちょっといい感じなのよ。↓けど。立ち入り禁止。

蘇州もそうだったけど、水が汚いのがねえ…
蒋介石がいたところ、とかさ。中には入れず、窓から覗く仕組み。

↑庇の中の模様も要チェック。
お部屋はあまり大きくない。崖にあるからかな。

建物の窓が割れてて、これは西安事件のものだとか(ほんまか?)

そして、銃痕があってそれはそうだろうなあ。
蒋介石のお風呂は、楊貴妃のお風呂を模したものだった。

蒋介石が作らせたわけでもないと思うけど……
とにかく、蒋介石が使ったお風呂は、楊貴妃のお風呂を模したものだった、ってことです。
この上の方にも登れるっぽいけど、
ここまで、2時間。
「西安は唐末までを集中的に見るべき場所」と、ここで取捨選択することを決めた
市内では8泊9日したけれど、体力的な制約とそれに伴う時間的制約の中では、取捨選択する必要があった。大明宮に未央宮をどうするの?と思って西安に来たの。
多くの日本人同様、隋唐以降の中国への興味は尻すぼみになっていくのよね、私。この華清宮がday2。ここで、「あー、そういうこと。明や清のものを見たいならば西安ではない」と切り捨てる判断をしたわけ。西安は唐末までを集中的に見るべき場所。
江南の庭園を見た目では。
で、清華宮の庭園や遺跡()にテーマパーク()などを見ながら思ったの。蘇州も「元は明」みたいなものも、結局は清の庭園なのよね。しかもそれを現代に復元してるわけよ。
蘇州で庭園巡りをして「夢窓国師。国士無双」と思ってたのね。まあ、好みの問題ではある。京都でも散々庭園を見て回ったけど、夢窓国師や雪舟以降の侘び寂びを良しとする日本人の目には、蘇州の庭園って、派手すぎるのよ。引け、引け、もっと引くんだ、と思っちゃう。
けれど、西安で「庭園です」と言われると、「蘇州を見ちゃった」と思っちゃった。それ以上の言語化が難しい。太湖石はなくてもいいんだが、何かが違う。あっちだって復元、こっちだって復元。なのに、圧倒的に何かが違う。そここそがセンスなんだ、洗練度なんだ、としか言いようがない。これが日本語で言うところの文化。カルチャーなんだなあ。(中国語の「文化」と日本語の「文化」は少し概念がズレてると思う)
考えてみれば、明清では経済的に豊かな江南。蘇州は上海の近くだから、上海の発展は蘇州に波及しないわけがないし。という。観光エリア含めて、蘇州からは観光地らしい荒廃を感じたけれどさ。それでも積み重ねがあるわけよ。清の皇室が使う絹織物と刺繍なんて、センスがないとできないのよ。
一方、明清の西安は辺境への出入り口でしかないし、中央アジア以西の情勢によりシルクロードがぶち切られた状態では、重要な都市にはなり得ない。現代の西安は一帯一路の拠点として復活したいところなんだろうな、という場所です。要するに、シルクロードが切れても、統一王朝の都が置かれていれば話は変わる。しかし、唐が滅んでからはこの地が政治の舞台になることはなかった。
どうして城壁がぐるっと残るのか、という話よ。要するに、大躍進時代にも改革開放以降にも、壊すことにニーズがなかったということでしょ。明だから門道も大きかったというのも大きかったのかもしれないけど。
人だってそうよね…百万都市だった長安が宮城と皇城部分だけにサイズダウンしてるんだから。ハイセンスな人は巻き込まれてお亡くなりになったり、この地を捨ててる……
だから、仕方ないわね。
いろいろ行ってないじゃん?というのはそういうこと。
ということで、今回泣く泣く、でもなく切り捨てた代表例が、城壁と城門をチラッチラッとしか見てないところとか。すぐ近くに泊まってたのに、鐘楼も鼓楼もチラッチラとしか見てないとか。この前日に鼓楼の近くにある、探花?だった高氏大院もそばを通って(その日は夕方だったし)、他の日に行くこともなかったのも。明や清のものを見たいならば西安ではない、とこの華清宮で判断したから。次の日に行った青龍寺は、いくらこの場所だったと体感したいからといっても、まあ、みたいな感じだったね。
何が言いたいかというと。中国は特に隋唐以降、北部の軍(=生産性が低い)を南部が支える。それはテキスト上で知ってたけど、西安に来てみて、江南が文化花咲く地なんだというのがよくわかった。江南ばっかり集中して見てたら(現代人にドン引きして)実感できなかっただろう点です。






