三条大橋
五条の大橋・賀茂大橋は比較的よく渡るような気がするんだけど、今回は御池通りを歩いていたのもある。
(御池から三条を見る)
そのまま御池?という感じになって、鴨川のほとりを少し上がって、三条で上がって三条大橋を渡って祇園へ行くことにしました。
三条大橋と四条大橋の間は距離があるけれど、御池大橋と三条大橋の間はあまり距離がないのでちょっと寄り道感覚だったってわけ。
三条大橋を渡ろうとしたときに、弥次さん喜多さんがいて(柳の枝に焦点がいってしまってうまく撮影できてない)。側に擬宝珠(ぎぼし)に、刀傷があるものがあって、池田屋事件のときのものではないかと立て看板があった。
ほー。
探さねば!
これか。
ところで、この擬宝珠、実は碑文があった。
洛陽三条?天正十年?豊臣?
三条大橋って、秀吉が石橋にさせたものだったんですね。
ついでにいえば、三条河原は、そうだったわ。豊臣秀次の首が晒され、その子ら・妻妾らが処刑されたんだったね。
おぅ。
なぜかこういうところばかり歩いてたんだよ、私は。だが、六条河原(は歩いていない。
祇園
さて、しばらく歩いて「祇園」と呼ばれるエリアに入りました。
ん?
時間のせいなんでしょうかね。
なんとなく思ったのよ。「小京都」って。いや。だから!私!京都にいるから。
いくつか「小京都」と呼ばれるところを知っているのですが、そのね、「中心地」ってこういう感じよね。確かに、京都風を目指してたんだわ!って思ったわけよ。
「かにかくに」
こうすると確かに「祇園」なんだわって気分になってきました。
白川のカーブ。
白川沿いは、秋よりも春の方が良さそうな雰囲気ですね。
こんな感じでぶらぶら歩いて、ポスターを見て慌てたわけだよ。
六道珍皇寺、開いてるんじゃん!
しかし!三条大橋を渡ったところですでに16時。16時でクローズドなんだから、お寺さんは夜が早く、本当に縁がなかった。
なんでですかね?左遷されたり、怨霊になった人のゆかりの地にはふらっと行ってしまったのに、同じく島流しにあった上に平安初期の変な人の極みだろう、小野篁ゆかりの地には行ってない。・・・来るなと??