南宋德寿宫遗址博物馆です。德寿宫 dé shòu gōng。
ここはもともとは(あの)秦檜(しん・かい)の邸宅だった場所を、のちに退位後の高宗が手を入れていった場所です。「高宗」と聞いて、唐の武后の夫の李治を連想したでしょ。ちゃうちゃう。趙講(ちょう・こう)です。
高宗の即位経緯は、は!?裏切り者が!?哲宗の廃后が!?そして帰ってきた秦檜、お前はなんだ?みたいな、小説みたいな面白さなのに、あんまり知られてないのがもったいない。↓で読んだ。
王朝が崩壊していく混乱期を支えて縮小させつつも王朝を維持するのは、上り調子の創業以上に大変じゃなかろうかと思う。北宋が160年間、南宋が150年間。縮小したとはいえ、本家とほぼ変わらない長さの王朝を保ったのだから。高宗はなかなかの人物だと思うんだが。
ここは、いろんなところが一方通行で。南から入って北から出るんですが。
あとから戻れるでしょ、と思ったところで戻れなくて、うまいこと回れなかったんですね。地下に博物館があって、そのあたりメインで見て、建物(再建)はあんまり見れてない。
だって、地図では通れそうだったところも、こんな感じだもん。
でね、地下の博物館では、北宋の崩壊、そして(哲宋の)廃后の手で即位する高宗、そして、高宗の南遷、紹興で亡くなった(哲宗の)廃后についてとか。そして南宋についてなどの説明が詳しかった。
この、くすみカラーの美しさ。
高麗の青磁の青の美しさ。
他にも、安定した社会の下で、科学技術の発展、庶民の文化の発展がありました、って。
宋か。
それよりも、別の建物の地下なんだけどね。おお、遺跡じゃん。
清まで打ち捨てられてはいたようだけど、なんかあったっぽいんですよ、ここ。ずーっと使い続けたわけではないから、当時のものが発掘できたんでしょうかね。
高宗の次の孝宗時代には重華宮になり。その後には高宗の皇后だった呉太皇太后がここに住んだとか。↓
その呉太皇太后の宮があったり。どうも官吏もここに詰めた時代もあったっぽかった。太皇太后宮パートと言えど、ワンセットをほぼマルっと見られる遺構は少ないから、俺は感激だよ。
北から出ると、こんな感じで。
杭州博物館が近いんですが、水路があったり結構歩きにくいです。
地下鉄の江城路駅から歩いて行って、帰りはバスです。高徳に頼った。
夕方は結構道路渋滞するエリアなので、バスがなかなか来ないのよ。乗れないかな、でも高徳は問題ないっぽく書くんだけど……と思ってたら本当に問題なかったです。












