その数日前に、京都で会っていただいた長年来のネッ友さんに、「東寺はなァ、こっち。京都駅側からならこっちから入ると思うけど、こっち(九条側)や。こっちの南側から見たとき、どんだけすごい寺なんや!って思う!」と言われて、そうしました。
東寺の東門ではなくて、その先で降りまして。九条側の門がこれ。
門をくぐると、ドーン。金堂。
視界を遮る金堂のせいで、ここのサイズはぜんっぜん見当が付かないという羽目になりました。いくつお堂があるのかもわからぬ!!みたいな。
この場所から右を見ると、五重塔がある。
柵が張り巡らせてあるのがわかると思うけど、南側から入ったときには、チケット売り場がないので、ぐるりと歩くことになります。
この時のチケットは、金堂・講堂・五重塔初層内部・宝物館・観智院の共通券1300円です。
五重塔
レッツ五重塔!
五重塔の内部ってどうなっているのか、これまで「国宝・五重塔」はいくつか見ておりますが、内部まで入ったことはなかったの。
中にはね、四面に仏像が安置されておりましたよ。空海さんの当時のものではなく、江戸時代の塔だからか、中の彩色が結構残ってる(そりゃ、修復してるのかもしれないけれど)
この石段の上からの金堂・講堂の眺めもかなりよかったんだけど、内部はもとより、石段から外側への撮影も禁止されていたのでないわ。
その代わりに、五重塔に行くまでに、「東寺」って感じの写真が撮れた。
カァーッと真っ赤に燃える紅葉もいいんだけど、神社仏閣でみるならこれくらいの、ほんのり色づいたくらいが好き。
2022年5月に東寺再訪。このときは中を通過しただけだけなんだけどね。
iPhone 13Proなんだけど、ノーエフェクトですよ。青・青・青。
下からは、再び2018年のお話。
金堂
お次は金堂へ。もちろん、内部は撮影禁止です。
薬師如来が薄目を開いているのが、怖いの。
京都の仏像って結構、怖い顔してない?私は奈良の仏像の方が好きだ。
講堂
ここの立体曼荼羅の中、帝釈天がイケメンって有名なんですけれども、二周くらいくるくるとまわったんだけど、はっきりと覚えてるのは「やっぱり象に乗ってるってあんた、ちょっと一人態度がでかくないか?」ってことになってしまった。
なんだか大日如来が怖い顔してたしぃ。
邪念に取り憑かれた女は早々に退散しました。
それに、宝物館にイケメン帝釈天どころじゃないの。すっごいのがいた。
宝物館にて夜叉が!
宝物館の千手観音は、開眼のとき宇多天皇(まだ天皇だったの?)が行幸したというので、少しでも王朝文学に興味があるなら「ああ、あの人も見たのかあ!」な千手観音です。宇多の行幸なら菅原道真もついていったかもしれないし。法皇になってたら道真は左遷された後だったかもしれないし。
流石に身分の問題があって宇多について行けはしなかっただろうけれども、伊勢や紀貫之といった、古今和歌集のスターたちも見てるんじゃないかと思う。女子はどこまで行けたかわからないけれど、男子は行ってるだろうね。
宝物館の毘沙門天も、元は羅城門の上にあったというので、王朝文学のスターたちは受領階級出身の人が多いから、この像を見上げて「ああ、都に帰ってきた!」なんて思ったのかもしれない。孝標女なんて、「ようやく都よ!物語が読みたい!」って思っただろうし。
平安中期以前のものだと言われると、姉さんの脳汁出まくりです。
煩悩の塊です。
鎌倉時代のものでも、後白河法皇の宣陽門院ゆかりの五重塔小塔はめちゃめちゃかわいい。
し・か・し。
そんなものよりも、夜叉がいてね。
夜叉神像で本来は雌雄二体だそうです。作者は空海さんと伝えられる。
今回は宝物館にいたのは雄の夜叉さんの方なんだろうけど、この異形っぷり。
虫が食ったのか体がボロボロ。でも筋骨たくましい。腕はもげて、目が飛び出て、恐ろしいのなんの。
元は南大門(九条の、私が通ってきた門だろうね)にあったけれど、無礼な旅人に悪さをするので中に入れたというのもわかるわ。
いや、そりゃまあ、平安時代にはこんなにボロボロになってなかったでしょうよ。
今では歯の神様になってるらしいんだけど、なんで歯?(歯は大切ですよ!)
この夜叉さんのおかげで、イケメン帝釈天さんの印象がぶっ飛んで、そんなに顔をしっかり見たかしらね?なことになってしまいました。
機会があれば、是非ご覧になっていただきたい。
2019年の春には東博で東寺展をやるようですが、もしもいたら是非。
観智院で宮本武蔵の絵
東寺全体はそんなにサービスがいいわけではないんだけど、仁和寺が開けてなかった五重塔も開けて見せてくれたし。って感じなんですが、観智院は結構サービス精神旺盛だった。
恩師(京都の人)によく似た人が、「お時間があれば」と解説してくださった。
中は撮影禁止だけど、建物の、畳の上にあげてくれるのよ。
「この建物は国宝です。建物の室内に入れてくれるのもうち(東寺)だけですよ!」
「この建物は一度地震で崩れたのですが、ねねさんが再建してくれました。この絵は」
と指し示されたのは、作者・宮本武蔵。
「宮本武蔵が吉岡一門と決闘した後に、勝ったので追われる身になりましてね、この東寺に三年くらい籠ってたんです。その時に書いたのがこの絵」
別の土地で言われたらほんまかいな、と言いたくなるけれど、そりゃ、京都だもの。
竹林は、これ、すっごい迫力だっただろうなって筆の勢いの良さが残ってます。
鷹はねえ。残念ながらぼんやりとしか残ってないんだけど、やっぱり勇ましい。
結構、体育の先生たちって、字が綺麗じゃないですか?
運動神経のいい人って字が綺麗な人が多い印象を持ってるんですよ。逆は言わない。
剣のさばきも、筆のさばきに近しいのかしらって思いました。
解説は続いて、「あの門は元々は勅使門で天皇の行幸の時にだけ開けられました。今は前に石が置いてありますが、元はそのまま中にお入りになったのでしょう」ってな具合。
「ここは、元々は勧学院、つまり大学みたいなところだったんです」
学僧って質素な生活をしていたのかと思うけれど、案外環境の良いところで勉強してた。でも、自分のことを思い出しても、しっかり勉強できるのって、金銭的な余裕もあり、精神的な余裕もあり、体力もないと集中して学べないから、そういう環境を整えてあげてたんでしょう。
ここで確か抹茶を、って思ったんだけど、中で話し声はするんだけど人はいない。なんだか話し方が「心を落ち着けて、」というあの茶道でゆったりと話をしているというよりも、井戸端会議という風で。まあ、これはたまたまなんでしょうけれども、「違う」感じがしまして、声をかけることせずに立ち去りました。
今回の行き方は、四条堀川からバスに乗って、京都駅を経由したかな。とにかく、九条に行くバスがあったのでそれに乗ってホテルからバスで一本。
帰りは徒歩で京都駅へ。
姉さん、神社仏閣をがっつり楽しんじゃうタイプなんで、2時間以上いたようです。
拝観料に1300円。
御朱印二枚で600円、お土産が1500円くらい。