今回のGo To青森の、目的地は三内丸山遺跡でした。(2021年7月に「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つとして世界遺産登録されました)
すごく憧れてた。
もちろん、青森県には他にも遺跡もあれば、八甲田山・恐山・十和田湖に十三湖なんて見所がたくさんあります。
限られた時間と体力、そして資本を考えれば一つ二つに絞らざるを得ず、三内丸山遺跡を最優先しました。
三内丸山遺跡とは
縄文時代の遺跡です。今のところ、発見されてる中では最大級。もちろん、竪穴式住居は復元です。当たり前だ。
他にも北海道・北東北地方の縄文遺跡はいくつもあって、2021年の世界遺産登録を目指してるという話です。しかしながら、慣れない土地で慣れない車を運転するつもりのない私は、公共交通機関を使わざるを得ず。現実的に行けるのは、新幹線の駅から徒歩で行けなくはないという、ロケーションの良い、三内丸山遺跡でしょう。
遺跡部分
内部はなかなか広いです。復元してあるところ(正直、半分テーマパーク化してる)ところと、復元してない部分があります。
ガイドのある時間の表示があり、そんなに待たないので、ガイドツアーについていくことにしました。
実は、縄文時代の道が発掘されていて、そこを保護するように道が作ってあるんですって。
なんか悠久な感じがしてよい。木々を見ても、豊かな自然の中にあります。縄文時代は今よりも2、3度気温が高いそうですが、ならばもっと豊かだっただろうと思いました。
このエリアは江戸時代には土偶が出てくるということはわかっていて、実際に出土したものの記録も残っています(展示してあった)。しかし、人が住んでいた、そしてなぜ住まなくなったということは残ってないのかなあ。平安時代くらいまでは人の痕跡があるということなのです。奈良時代の常陸国風土記は陸奥の、その奥まではカバーしませんし、文字化されたものはないのでしょうね。
その後、野球場を作ろうと開発すると遺跡が出てきたので、急遽野球場はやめて遺跡の発掘に乗り出したんだそうです。ロケーションもいいので、うまく世界遺産化できれば、観光施設としてプロ野球の球団を持ってる野球場よりもはるかに長期間、真冬以外は稼げる可能性がありますから、ご英断であったと思います。
さて、復元してある竪穴式住居は三種類です。これがわかりやすいかな。
まずは茅葺き。次が檜皮葺のような、樹皮ぶきもの。そして寒さをしのぐために土をかぶせたのではなかろうかというもの。これらは地下30センチ程度掘った竪穴式にしているようです。
茅やヒダのようなものの痕跡があったんだそうです。
これらは中にも入れます。
次は、高床式倉庫。
これらは、掘立柱建物(穴を掘ってそこに柱を立てる)方式で、大きさは35センチメートルの倍数で作ってあります。ちょっとぞわっとしちゃった。
現代では、この程度の建物でも図面を引かずに作らないと思うんですよ。何らかの尺がありましょうね。
三内丸山のシンボルといえばこれでしょうか。
大型竪穴式住居と、塔。
ハイライトの一つ、大型竪穴式住居。内部に入れますが、本当に広い。目が慣れてもここまではっきりとは見えなかったので、やはりそこそこのカメラは良いものです。
焦がしてあるのは、虫除けだそうです。
ここは1.5mの深さに彫ってあって、2020年の台風なのか水害なのかでは水がこの中に入ってきたんだそうな。
今は三つの入り口が作ってあるけれど、本来見つかった出入り口は一つだけだそうです。その一番奥に炉のあとがあった。
高床式の場合は、柱のあとはあるけれど炉のあとのような生活痕がないので、竪穴式住居ではなかったと推定できる。
そして、六つの大きな柱。
実は水が湧くのでその中に栗の柱が残ってたというわけ。中の柱は復元ですよ。
実際には何だったのかわからないので、途中でつくるのをやめたというもの。
栗の大木は、ロシアのソチから。
そのほかにも、墓と墓の道があったり。お墓は成人のものはお棺を使わない。子どものお墓はお棺があった。
三内丸山の人たちが食べていたものは、主に栗。そしてクルミにトチ。魚は大きな骨が見つかるけれど、陸のものは大型動物ではない。
今の三内丸山遺跡にも、クルミやトチが植えてありました。栗は令和の栗。ほかにもスカンポがあったり、今でもそういう、あまり手をかけなくても食べられる植物が育つところなんですね。
半分テーマパーク的なところはあるけれど、遺跡であることは間違いなく。発掘作業中です。
豊かな大地です。現代では気候の厳しいところですが、縄文時代には今よりも気温は2、3度高く、海岸線も今よりは近かった。(そうか、地球温暖化しても問題ないなって思っちゃった)
この発掘現場は、涼しい風の通り道だったよ。
一種テーマパーク化されて他のも事実です。テーマパーク化されてない部分は広いですし。私の体力ではハイキング状態かもしれない&翌日から天気が崩れるならば、別の、屋外を歩かねばならないところ行っておかないと。ということで、ここで遺跡部分は終わりにすることにしました。
縄文時遊館
時遊館というミュージアムがあって、そもそも、三内丸山遺跡に入るためには建物でチケットなどを購入しないとならないのですが、その建物でもある。
ここにはいろんなものがあります。板状の土偶とか。出土した柱とか。ヒダなどの樹皮で編んだ縄文ポシェットなどが展示されています。素敵空間だった。
https://aomori-jomon.jp/essay/?p=9818
研究基地でもあるから、出土したものを保管したり。出土したものを管理するところも外から見られます。写真撮影は(基本)可能なので、フラッシュを焚かずに撮影できますよ。
で、私がいいなあって思ったのが、メジャーどころ以外ではこのミニチュアの土器。
土器のミニチュアを作ったのではなくて、小さな小さな土器が発掘されたというわけ。
なんとも人間的ではありませんか。子どものままごと道具かもしれないし。今でも神道で使う神皿は小さくてかわいい。ばあさまが神様にご飯をあげるのがおいしそうに見えてねえ。そういう風に使ったかもしれない。あ、そういうふうに使ってたなら、有機物の付着が残っててもおかしくないのか。そういうことは書いてなかったから、神皿ではなさそう。なら、おままごとかもしれない。もう、可愛いじゃないの。大人が余った粘土で幼児に作ってやるんですよ、きっと。
また、ここの食堂でご飯を食べるつもりだったのですが、私が行ったときにはちょうど中学生高校生が集団でいて、その近辺でソフトクリームなどを食べたりしてたのよ。このご時世でお子ちゃまたちがいるところに突っ込んでいってご飯を食べる趣味はないから、食べずに出ました。
空きっ腹を抱えて。
三内丸山遺跡への行き方
路線バスで30分以上。市バスとねぶたん号が走ってます。
新青森駅から歩いて行けなくはないので、そういう手もあるかも。
私は青森駅からねぶたん号で行きました。普段なら観光シーズンには青森駅と三内丸山遺跡までの直通バスも出るようですが、2020年はそれが中止。ふつうのねぶたん号か市バスしかありません。あまり本数はないので、ねぶたん号の一日乗車券は買わずに、市営バスでもねぶたん号でも、来たものを使う感覚で乗りました。
地方を公共交通機関を使って旅行するなら、バスその他の時間は現地で再度確認していかないと、タクシーに頼る羽目になる。
帰りは、新青森駅までねぶたん号で行きました。なお、新青森駅と遺跡との間は、タクシー・徒歩以外では、ねぶたん号しか結んでないので、そこも要注意。
今後もいろんなケースがあろうと思うので、行く前に(当日にも)HPで確認しよう。