え、わざわざ京都まで行ってポンペイ展?あんたこれまで何回ポンペイ展に行ってきたよ?って感じですが、ポンペイ展見てきた。

誰が指揮を取るかにもよるんでしょうね、毎回毎回切り口が変わりますから、何度行っても良いものは良い。姉さん、元々ラテン語をやるくらいのローマ好きだからね。
ただ、京都市京セラ美術館という建物がすごいね、これ。
場所は上の写真で想像つくと思うけれど、岡崎の平安神宮のすぐ近くにあります。琵琶湖疏水がお堀みたいになってる。元は「京都市美術館」。
改装して2020年に京都市京セラ美術館としてリニューアルオープンしました。京セラの美術館ではなくて、「京セラ」はネーミングライツ。いいかどうかわからんのですよね、ペイペイドームになってしまった福岡ドームもそうなんだけど。
建物がいいね!
前田健二郎原案の、帝冠様式の建物です。1930年台の日本の公的な建物の特徴の一つと言えるのではないかな。

東京国立博物館もそうなんだけど、下が西洋風の建築で上にお城みたいなのがある、これが帝冠様式です。東博の本館の写真は出してなかったか。このブログなら台湾の、高雄市立歴史博物館(元は、高雄市役所)。
高雄はねえ、植民地統治の象徴的なものでもあるから、手放しで鑑賞できないけれど、こっちは元々美術館ですから。そりゃまあ、平安神宮のそばにつくってるという政治的な意図は見えます。昭和天皇の即位祝いですからね。でも、美術館ですから。
リニューアル時に地下を作ったようで、地下から入ります。チケットは当日券を地下で買って、ポンペイ展に入って行ったというわけ。
で、中がいちいち良いのよ。

この階段も良い。
しかし、ホールの螺旋階段ですよ。

この螺旋階段はどうやら新設らしいんだけど、危うく、「1930年代らしいよね!」って書きかけた。調べて良かったぞ。本当にもう。
姉さんが家を建てるなら、この螺旋階段必須。
そしてポンペイ展を見るじゃないですか。

確か展示室と展示室の間の、休憩場所なんだけど、ここにある階段もよろしかったが、ライトの可愛さ!
あ、ここね。今回だけだろうけれど。

アレクサンドロスのモザイク画の100/100スケールのレプリカが敷いてあったよ。
で、出るじゃない。

日本庭園が見えるんだけど、うまーく建物が消えちゃって、まるで屏風絵のようだよ。
おそらく、ここが元の建物の背面なんでしょう。

いちいちゴージャス……
日本庭園に抜けちゃったもので、他のところは見てません。
日本庭園はねえ。

京都じゃなかったらすごいけど、京都だから。ってなっちゃうわけよ、だって比較するのがさ。大覚寺とか西芳寺に、醍醐寺に、だから。
https://kyotocity-kyocera.museum/
ポンペイ展
さて肝心のポンペイ展ですが、オール撮影可能。わーお。つまり、貸出を受けるときに撮影可であることをつけたんでしょう。
京都の次は宮城、そして冬に九州国立博物館だそうよ。
もちろん、モザイク画もあるし、スタートはご遺体の痕跡からですから……

あとギリシャ美術に多大な影響を受けたローマ美術なので、ことごとく男性がお脱ぎ遊ばしてて、ネット上でどう扱われるかがわからないので、そういうものは見せない。
俳優像。

ひだが、ルネサンスの方がリアルな表現というけれど、どんな布だったのかにもよるような気がするんだけどなあ、私。着倒して柔らかくなったけど、重めの布だったらこんな感じにならないかな?本数からすると割に薄い布でしょうかね?などと思いながら見るわけ。
アウグストゥスは自分の像を各地に作らせましたのでねえ。(長生きだったのに、おじいさんの像はないよね。いつも20代後半から30代前半の美青年時代よ)もちろん、アウグストゥスもいたよ。ちっちゃいのが。
グッズ売り場で超推されてたのがこの、黒パン。

実物を見てからだとそっくりだった。けど、オーストリアのカイザーゼンメルの原型ってローマにあったのかな?と思ったり。
人はあんまり変わらないってことでしょうか。
実はポンペイ滅亡は西暦79年。当時の皇帝はティトゥス。内乱の時代を経て、五賢帝時代に入る直前です。このときの人口規模は産業革命直前に等しいのよ。
あそこで産業革命に進まなかったのはなぜなんでしょうかね。
美術としては私は中世ヨーロッパ美術が好きなの。ルネサンスはルネサンスでいいんだけど、すごく素朴で好きなの。
しかし、この帝政ローマ時代のものと比べると、小学生と美大生かってくらいの違いだよね。
今でも通用しそうなデザインの食器。

姉さん、家を建てたらこのデザインの食器をだな…
家を建てなくてもいいか。
ああ、あとこれですね。

なんとなく、エジプトっぽいでしょう。「エジプト展」でグレコローマン時代のものが来ることはあるけど、ポンペイ展でエジプト趣味のものを見たのは初めてのような気がする。
ちょいちょい年表を見ようじゃないか。
BC48年、ポンペイウスが逃亡先のエジプトで暗殺され、カエサルのエジプト入り
BC31年、オクタヴィアヌス(のちのアウグストゥス)、クレオパトラとアントニウス連合軍を破る(アクティウムの海戦)
BC30年、プトレマイオス朝エジプト滅亡。エジプトはローマの属州へ
BC27年、アウグストゥス即位
79年、ポンペイ滅亡
今じゃエジプトは小麦の大輸入国に成り下がってるけど、元は「ナイルの賜物」だったわけで。長らく帝政ローマの属州の中でも一大穀物生産地だった。
オクタヴィアヌスの前、カエサル時代くらいからエジプト趣味がローマにも入ってたんだろうなあって。今回はイシス像もあったよ。