この日はホテルをお引越ししないとならないんだけど、行ってないところはまず上賀茂神社。今のホテルは市役所で、次のホテルは京都駅だから、こっちから行くほうが理にかなってるよね。
ということでチェックアウトして、ホテルに荷物をおいて行って来た。市役所前のバスから一本で行ける。
ところが上賀茂神社から入ろうと思っても入り口がコンサートの準備で封鎖されてて、脇から入るのよ!

でもその道がこんな感じで情趣たっぷりだった。帰りにここで生き物観察をしてる母子がいて、京都って良いなあと思いましたよ。
上賀茂神社は、正確には「賀茂別雷神社」。雷の神様で、下鴨神社はその雷の神様の両親を祀ってるという関係です。東本願寺と西本願寺のようなものではなかったわけね。

歩いているうちに建物がいくつかあって、斎王の儀式にでも使う建物もこの辺りにあってもいいよねえと思ったわけ。
伊勢神宮に仕えた斎王が「斎宮」。ならば、京都の賀茂神社に仕えた斎王が「斎院」と呼ばれます。
斎宮は遠いところに送られるのを嫌がったのか、結構時の帝から遠い人がなることがあるけれど、斎院は皇女がなることが多いです。
とはいえ、伊勢斎宮制度が室町時代まで続いたのに対して、こっちの賀茂斎院制度は早々に鎌倉時代に絶えてしまうのはなぜでしょうね。
伊勢斎宮を制度化したのが天武天皇なら、賀茂斎院を制度化したのが嵯峨天皇だという違いなんでしょうか。
斎院で有名な人は、平安末期の式子内親王(後白河天皇皇女)。百人一首の「玉の緒よたえねばたえね」の。平安時代といえば一条天皇時代の人なら、「大斎院」こと選子内親王(村上天皇皇女)でしょうか。「枕草子」にも「紫式部日記」にも出てきます。
なんて思いながら歩いているうちに。

細殿の前に山が二つ作ってあるのが、上賀茂神社なんですよ。紋が葵。徳川の三つ葉葵ではなくて、二枚の葵です。
本殿の方へ向かいましょう。

500円で解説&本殿権殿の参拝に、絵画館だったかな?を見ることができます。通常の参拝エリアでは伊勢神宮以上に本殿も権殿も見られないんだもの。払って入ります。
まだ若い神職がお二人くらいで交互にくるくるくるくると説明して案内してを繰り返すので、待ち時間もそんなにありません。
賀茂神社の神話の解説に、本殿と権殿が並ぶのを見せていただくわけです。ここは21年ごとに式年遷宮として建て直しを行う神社さんだったけれど、今の建物は江戸時代のものです。明治期に重文指定を受けて以来(今は国宝)、完全に建て直すのではなくて、修理修繕を行うんだそうです。
本殿と権殿はかなり隣接して建ててあって、ろうそくが倒れて火が出たりしたらどっちも…と思ってしまったよ。
そして、賀茂斎院がいた場所は、「紫野」。大徳寺の南方だったようです。特に遺構の展示などがあるわけではないようなので、今宮神社から大徳寺へ抜けて満足しました。