六朝博物館は、南京市博物总馆を構成する博物館の一つです。他に私が興味があるのは、南京市博物館、太平天国歴史博物館だった。時間と体力があれば、だったのが南京市民俗博物館、江寧織造博物館。全部行けたわけではない。

六朝博物館の英語名称は、The Oriental Metropolitan Museum (3rd-6th Century)。オリエンタルメトロポリタンミュージアムっ!なんと大きく出ましたね。そりゃあ、まあ、西ローマ帝国の滅亡は、476年だからなあ……
月曜日が休館日。大人1人30元。
中国人インフルエンサー達的には、(有料だから)行かなくてもよろしい、というところらしいけど、今回の私のテーマは三国志(呉)なのでね。一番初めに行かないわけにはいかなかった。
行くと、そう言うのもわからないではなかった。時間がなくて、他にも、という人は南京博物院でも六朝時代のものは十分見られる。
でも、ここは展示が南京で行った博物館の中で一番おしゃれだったし、南京博物院よりもすいてるし、六朝時代に関してはそれなりに充実してるので。三国志旅の人にはここをお勧めする。
六朝とは
はい、ここから行きましょう。後漢滅亡……というよりも、後漢の献帝が曹丕(魏の文帝)に禅譲し、三国時代が始まります。いわゆる「三国志」というのは主に後漢末期なんだよね。曹操が生きてた時代はまだ後漢。曹操没後に、献帝から曹丕に禅譲だからさ。
曹丕即位以降のゴタゴタ時代は、日本では「三国時代」「南北朝時代」と呼ばれたりするけど、結構「魏晋南北朝時代」とひとまとめにされがちじゃない?
この地は南朝。南京はその南朝の中心地ですから。「魏晋」の「晋」はほぼ無視で、「六朝」とカウントし始める。私が高校の頃、「六朝」ではなくて「りくちょう」と読んだねえ。

三国時代、南方は呉。六朝のカウントは孫権の呉から始まります。都は建業。この南京です。東呉、孫呉と書かれるのは、呉というと春秋時代の呉王夫差の呉を連想するからなんでしょうか。別に「西呉」などあったっけ??俺は知らん。
一方の「宋」。統一王朝の「宋」があるし、春秋時代にも「宋の文公」で有名な「宋」もあるじゃん?南北朝時代の「宋」は「劉宋」にしてくれることもあるんだけど、ポンと「宋」と書かれることがあって、姉さん程度の素人さんは?????にならない?確かに劉宋の史書は「宋書」だけど、孫権の呉だって「呉書」だよ。統一王朝の宋が割に「北宋」と呼ばれるから?でも、統一王朝なんだよ、あっちは。こっちは統一してないんだぞ?長安を一時落とすところまでは行ってるのだがねえ。なお統一王朝の宋の史書は、北宋と南宋合わせた、「宋史」。
まあいいや。とにかく、三国時代は、呉が晋に負けて、一度晋によって統一される。都は洛陽。
↓晋によって統一されましたってやつ。
↑これ、三国志展で来たやつじゃない?
三国時代は終わったかに思われるのですが……しかしすぐに八王の乱からの建康への東遷。東晋です。首都建康は、この南京です。ここからいよいよ、中国史の中でもなかなかの地獄、南北朝時代への突入です。まだ三国志の時代の方がマシ。南北朝時代があまり受けないのは、日本の戦国時代どころじゃないからでしょうか。
最終的に統一するのは北朝の流れ汲む隋。陳の首都、建康攻略の総大将は晋王楊広。その後暴君の名を欲しいまま?にする煬帝です。
建康落城後、隋の文帝(楊堅)は建康を耕作地にしてしまえと命じるので破壊されるのだけど……その煬帝は末期に建康への遷都を考えていたようだし。水路も孫権時代のものが基礎になってるようだし。煬帝はそんなに破壊しなかったんでしょうかね。
六朝時代の版築
さて、六朝博物館の地下に行くと……これよ。発掘されたの。夯土、すなわち日本語で言うところの版築が……この版築の遺跡を保護するために六朝博物館を建てたっぽい。

はぁ……もう胸いっぱい。版築というのは、こっつんこっつんと人力で突き固めていく、安いは安いけど、気の遠くなるような方法です。こーれが。残るのよ。河南省には殷の時代の版築も残ってるくらいだから。いん・しゅう・しゅんじゅうせんごく・ぜんかんしんごかん・さんごく・しん・なんぼく、ですよ。南京のような湿潤なところではあまり残らないのだと思ってたけど、やっぱり残るものもあるんだね。
六朝時代の版築の、その上に地層が積もっているところ見ると、やはり打ち捨てられていたっぽくはある。
中原では都の道路はそのままの土だったけど、建業(建康)では、雨が多く舗装してましたって。
六朝時代の人々の暮らし
六朝民俗博物館かいな?と言いたくなるような展示の方法だけど。
それだけ出てくるってことなんでしょう。そして、立ち昇ってくる、六朝時代の人々の生活……もう俺は胸いっぱいだよ。確かに中国のKOLの言う通り、お金を出してまで見るところではないかもしれないんだけど、版築とこの六朝民俗資料館的なところで、大満足。
なお、並行する日本史行きましょう。239年(ふみください)卑弥呼です。卑弥呼の使者が会ったのは、曹叡か、その次の曹芳か。この頃、呉は孫権。蜀は劉禅。
隋による統一が、589年。建康攻略の総大将はのちの煬帝。ということで、行きましょう、小野妹子と思われる倭国の使者が「日の出づるところの天子より」のお手紙を持って来て煬帝を激怒させたのが607年。南北朝時代とは、ほぼ、卑弥呼から聖徳太子の時代なんだよ。
倭国も一気に変動してるっぽいけど、それはきっと大陸から海に漕ぎ出て来た人たちの影響があると思うんだよな。海に直接出るのは南方の人たちかしら。北方の人たちは、朝鮮半島への入り口は(前漢時代から)高句麗がずっと頑張ってるから、山東半島あたりから漕ぎ出す人たちもいると思うねえ。
なので、六朝時代のもの寄せ集めで置いてあるけど、孫権時代ならば卑弥呼時代の人の食生活。陳の末期なら聖徳太子の頃の人たちの食生活。ふわああああああああああああああああああああ。豊かだよねえ。
青磁
さて、青磁のコーナー。いろいろあったけど。この辺りでしょうかね。「青」という色は実に定義しにくく。我々が現在思う「青」も、有名なところでは信号機の色を日本人は「青」と言うけれど、英語ではgreen lightですからね、あれ。
微笑みをたたえているというのが南朝の特徴なんだって。
女子の髪の毛に注目。
「鳳囚凰」というドラマがあって。南朝の宋と、北朝の北魏が舞台なんだけど、(南朝)宋パートでリタイヤしちゃったんだよね。あまりにつまんなくてさあ。ヒロインがバナナ乗っけてるwwwなどと言われてたんだけど、こういう感じか……と今更ながら思った。見るか……北魏パートでは白鹿が出てくるっぽいし。
神獣鏡
さて、呉の神獣鏡。
三角縁神獣鏡と比べるとはるかに小さいんだけどねえ。当時、神獣紋が流行ったんですってよ。
外国というか、辺境の地に威信を示すための贈り物と、日常使いのものは別よな、とは思うよ。
日本関連では、卑弥呼は239年に魏に使者を送ってるけど、孫権は孫権で230年に東方の夷州・亶州探索に行かせてる。
そのほか
これは、この後に行った南京博物院の展示で「こういうことか」と思ったので、それは後ほど。
南朝の墓誌は形が正方形に近かったり、細長かったり色々だった。墓誌とくると、書法よねえ。フォントがいろいろだった。
いろんなところに「永和九年」から始まる、蘭亭序が装飾に使ってあったよ。王羲之もまた、南朝時代の人。
南北対立すると、戦争で科学も進歩し、同時に文化も花開いた。
南朝は、正統を主張してたしね。
帝王を支えた臣下たち。とか。呉では、陸遜(だよねー)と張紘が選ばれてた。
おしゃれな装飾
上の階には、いろんなところにこういう↓装飾もあって、これはおしゃれだったよ。
その分、展示物が少ないと言う意味でもあるんだけどね。雰囲気はたっぷり。ただし、六朝博物館はちょっと新しいんでしょうかね。
ここ以外の博物館は、展示形式が古めというか。この後行った太平天国歴史博物館は、情報量は多めだけど、ケースが薄曇りでびっくりしたんだけど、この後は大抵おしゃれ感がちっともなく。ケースは薄雲ってたり、ライティングに工夫してほしい……みたいな見づらさ。まいったわぁ。
付近の「建康都城遺址」は行く必要ない
地図を見てると、「建康都城遺址」というのがあるので行ってみた。
ふむ。ってこれだから。
私の後ろには、東屋が作ってあって。そこでおじさんがメジロ?を鳴かせてた。
三国志・六朝時代をメインに見たいなら、六朝博物館へ
ということでねえ。とにかく三国志含めた六朝時代をメインに見たい人は南京博物院よりもこっちをおすすめする。空いてたし。おしゃれだし。版築見られるし。
けど、時間がなく、とにかく南京を網羅したい人は南京博物院へ。(ついでに先に書いておくけど、南京市博物館は、朝天宮という道場を再建したものなので、それはまた別のものです)
六朝博物館への行き方&この日のぶらぶらは
地下鉄2号線の大行宮駅から歩きました。江寧織造博物館をちらっと見て工事中?チケット売ってるけど??改修中??と思ったので戻らなかったんだけどね。六朝博物館は、中華民国の総督府跡の隣です。
帰りは建康都城遺址の方に歩いて、西安門を見て。西安門駅からまた地下鉄に乗って、1号線の三山路駅へ。そこから太平天国歴史博物館へ。民俗博物館にも行くつもりだったけど、雨に降られて太平天国で終えて三山路駅から帰る、という行程でした。
西安門からそのままぶらぶら歩けば明故宮を経由して南京博物院へ行くので、そういうルートでもいいかも。ただし、南京博物院は昼下がりに出たところ、すごい人数が博物館に向かっていたよ。
逆方向、つまり午前中に南京博物院へ行って明故宮。六朝博物館、総督府、江寧織造博物館、の方が効率がいいのではないかなと思いました。
総督府はね、太平天国の天朝宮の跡なんだよ。江寧織造博物館は蘇州でシルク博物館に行ってるから、ま、いっかと思ったんだけど。いやー、総督府をパスしたのをちょっと後悔してて、また行くのか!?太平天国のために南京に!?というお気持ち。正直、中華民国はどうでもよろしい。
昼飯?そんなもん食ってる時間なんかないんだよね。本当にこの日の昼飯は、建康都城遺址でカロリーメイトと水。おばさんなので、それでお腹いっぱいよ。















