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深水埗暗夜 [2015年4月 香港女一人旅]

香港最後の晩、私はセントラルにいた。シティホールで香港国際映画祭の大トリを飾る(のか?)「ラスト・エンペラー3D」を見ていた。

めまいの話にも書いたが、3D(ゆるかったが)のせいか、私は立ち上がって歩こうとして平衡感覚を失い、隣のおねさんの上に倒れこんでしまった。非常なショックだった。ほとんど逃げるようにして中環駅に行く。まだ人はシティホール内にいるのか、人気がほとんどなく、気持ちが悪かった。

これは香港なのか。

香港。

10年前初めてトランジットで香港訪問する前にぼうっと感じていた香港の印象というものは、チムサーチョイからビクトリア湾ごしに眺めるセントラルのビル群の夜景ではない。

「苦力たちが船から海に突き落とされる」というものだった。どんな感覚かといえば、まさしくアンディ・ラウの「マッスル・モンク」の中のセシリア・チャンの悪夢の感覚にほぼ近い。セシリアは日本兵が人々を襲う様子の悪夢を見た。それがセシリアの前世の業だったのだが。

私は「見る」のではなく、「香港」と聞けば、ほぼすぐに戦いか何かで次々に船から突き落とされる半裸で辮髪の男たちのイメージが浮かぶのだった。

おそらく原因は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」か「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ2」あたりじゃないかと思うのだが。

香港のイメージを良いものに変えたのは港女たちのおかげだ。しかし、一人で歩くときに「気を抜いてはならない」と感じさせる何かが香港にはある。信用してはならない、気を許してはならない何かがある。くじ運が悪い私が唯一ミラクルが起きることを期待できるのが香港だし、香港には愛されている自信がある。

それでも、気を抜いてはならない、と強く感じる場所、それが香港だ。

動揺しながらも、中環駅へ行く地下通路で私は「しっかりしなければならない」と言い聞かせていた。

日付が変わる前、私は地下鉄に乗り込み発車を待っていた。明るい車内で私は安心してしまった。

まだ安心するには早いのに。

少ない人を乗せて、地下鉄は進み、気がつけば深水埗についていた。4泊目のYHAメイホーハウスが目的地だ。
⇒https://anego-skyscraper.com/meiho-house/

私にはいくつか癖がある。それら全てが裏目に出てしまったのがこのときからだった。

まず、私は人について行ってしまう。

誘いに乗るとかそういうわけではない。その晩シティーホールで私が上に倒れてしまったお姉さん以外、誰も私に話しかけたりはしなかった。

ただただ、前を歩く人をついて行ってしまうのだ。都会の人混みの中ではこれが役に立つのだもの。

福岡に住んでいたのだが、福岡の人というものは歩くスピードがかなり遅い。ところが私の歩くスピードはかなり早い。遅い遅いとはいうけれど、さっさと歩く人はいるものだ。大抵は背の高い男性、正確に書こう。男性で、背が高い人だ。

天神はほぼ私のプレイグランドだった。そこで身につけてしまったのが、「前を歩く人についていく」である。ほぼ無意識のうちに自分と同じ歩調で歩く人を見つけ、その人の後ろを歩く。そうすれば、前から来る人、同じ向きで歩いているけれどのろい人たちを無事に避け、さらに私にとって快適な速度で歩くことができる。

おかげで田舎者にはきついという梅田でも人にぶつからずに歩ける。歩く速度の早い東京や香港を歩くとき、この癖がどれだけ役に立ったか。歩く速度が速いとはいえ、それはあくまでも福岡での話だ。アジアを離れて背の高いヨーロッパやニューヨークの街では少し遅い。遅い人の後ろを歩けばいいのだ。おかげでウィーンを歩くとき、建物の中庭を突っ切るという道を知った。

この晩の不幸はまずそこにあった。日付が変わるというのにそこそこ人がいた地下鉄の深水歩駅構内でほぼ無意識のうちに私は人の後をつけて歩いて適当な出口で出てしまった。今思えばおそらくウェストドラゴンセンター出口ではないかと思う。

反対だ。ゴールデン側に出なければならなかったのに。

次に、今回実感したことなのだが、私は通りの名前で道を覚えない。住所をもらったりすればその通りと番地で歩ける。地図で地理を頭に叩き込む時にも通りの名前を覚えないわけではない。しかし、足で覚えた道の場合、通りの名前ではなく曲がる場所の雰囲気、特徴的な建物や店などを覚えるのであって、通りの名前はほとんど意識していない。

私は地上に出て、歩き始めた。ホステルと地下鉄の駅の間は何度も往復した道なのだ。足が勝手に連れて行ってくれる、はずだ。

深夜の深水歩を歩くのは二度目だ。前回は港女や男子が一緒だった。22時半くらいだったがまだ人は多く、店も開いていて屋台もあった。この時間になると茶餐廳はもう閉まっているんだ。屋台を片付ける人たちがいて、昼間とは全然様相が違うんだ、そう思っていた。

おかしい。何かが違う。

こんなところは私は知らない。

違和感を感じて慌ててスマホのグーグルマップを開いた。

衝撃的な事実が判明した。ありえない。

・・・180度違う方向に歩いていた。

そうだ。私は建物の中では方向感覚を失う。暗い日もそうだ。夜はどちらの方向に歩いているかがわからなくなる。それは全て太陽がないから。

本来は山側(北東)に歩いていかねばならないのを、強いて言えば海側に、南東に向かって歩いていた。

ああ。あの屋台や路上に広げた何かを撤収しているのかこれから店を広げようとしていたのかよく分からないおばあさんがいた通りは鴨寮街だったか。

さらに深水埗の建物はどれを取ってもほぼ同じに見える。区別がつかない、汚らしい外装の建物しかない。香港島側、ビクトリア湾沿いならまだましだ。だって、目印になる建物がたくさんあるのだから。チムサーチョイだってまだ楽だ。道に迷えばネイザンロードを探せばいい。モンコックならランガムプレイスがある。

しかしここは深水埗。香港の下町。本州のヘソの0市の市長はかつて「痰壷」と呼んだが香港の痰壷とはまさにここのこと。活気があるのか疲弊しているのか。セントラルやチムサーチョイが再開発されてもここが再開発されることはまずないだろう。30年前はマンションだったであろうマンションは老人ホームになり、しかも香港らしくメンテナンスがほぼできていない。おそらく「桃さんのしあわせ」の老人ホームはこういう感じのところだろう。日本の国家公務員住宅か低収入者向けの市住・県住(どちらも@元被差別部落が多い)でももっと外壁は綺麗だ。

屋上屋を重ね、今にも崩れ落ちそうで、生活感が滲む深水埗は私を喜ばせた。人が乗れば崩れるのではないかと疑うような竹で組んだ足場は実にエキゾチックで魅力的だ。

ただし、昼間に限る。

夜間、歩いてみろ。

私はほぼ怯えながら「知っている場所」を探していた。

私の知っている「帰り道」とは黄金商場があり、亀ゼリーの店があって、ガーデンビルのネオンがある通りだ。今は知っている。その通りの名前は「欽州街」だということを。しかしその時は意識の中にそれはない。

私はXperiaのグーグルマップにYHAと入力した。

ここで私は大きなミスを犯した。それは表示される情報の少ないXperiaを出したということだ。情報量の多いiPadであればまだ良かった。しかし私の身になってほしい。場所は香港の痰壷、深水埗。ほぼ都市伝説かもしれないが、香港人のかなりの割合が三合会のメンバーだという。流入者の多い他の地域ならまだしも、ここはほぼ香港に生まれ香港に育った人たちの住む場所だ。

屋台を撤収した後なのか、目つきの鋭い男たちが数少ない空いている茶餐廳で何かを食べている。これがまた路上なのだ。油断ならない感じのおばさんが切り盛りしている。

気分はもう「水滸伝」だ。

「水滸伝」では孫二娘と張青夫妻が茶屋のようなものを営み、見張りをしている。

中国ものの時代劇には旅人が集まる店が出てくる。「グリーン・ディスティニー」で男装したチャン・ツィイーが絡まれて、大暴れするような。そういう店に宿泊することもできるのだろうか。中国語では「酒店」「飯店」がホテルを指す。それはあんな店が元になっているのだと私は思う。話は水滸伝に戻るが、孫二娘と張青夫婦はそういう「酒店」「飯店」を経営しながら何をしていたのかというと、毒を盛ったりして客を殺して金目のものを奪い、人肉を饅頭にして別の客に提供していたのだ。

こ・わ・い。

じろりと孫二娘(仮名)が私をにらみ、私は小走りに走ってきたのだ。

人はほとんどすれ違わない。しかし、道端でiPadなんか出してみろ。油断が生じる。ぐっと腕を掴まれて暗がりに引き込まれたら一巻の終わり。

だからXperiaだった。まだこちらの方が楽だと思ったのだ。

私はYHAと打ち込み、出てきた「YHAメイ ホー ハウス」にポインターを合わせて歩き始めた。

ルートが出ているからそれに従って歩いた。福榮街・福華街。うんうん。この通りは通ったことがある。GPSに従って歩いているのに電波のせいだろうか。曲がるべき通りを間違えて何人かいる「孫二娘」たちの前を往復し、その度に睨まれながらようやくつい・・・たはずなのだが、一切見覚えがなければもちろんメイホーハウスが現れるわけでもない。メイホーハウスは坂を少し登らねばならないのに、ここは平坦な場所だ。だらだらとかいた汗が背筋を伝う。

ああ。香港。これまで行ったところの中で最もグーグルマップが機能しない都市に私はいた。この近辺は住宅地なのだろう。人っ子一人おらず、あたりは不気味な静けさに包まれている。

草木も眠る丑三つ時。

いや、まだ午前1時にもなってない。いやいや、日本は午前2時だ。

私はもう一度グーグルマップを表示する。YHA美荷楼と感じで書かれたものをクリックする。

場所が違う。

GPSに従って歩いているのに、GPSのポインターが動かず、恐怖と焦りで画面を表示する指は震え、たまにYHAの場所を消してしまう。

えいままよ。

港女に電話しようとするが、中国で使い切ってしまったのか電話は繋がらない。Lineでメッセを送るのだが返信がなければ既読すらつかない。寝ているのか。彼氏とラブラブなのか。スカイプで電話をかけようとしてもスカイプがはじかれる。

もう!役立たず。

そもそも私はあの人に何を期待していたというのだろう。叩き起こしたって自分だどこにいるかすらわからない上に、相手はひどい方向音痴だ。

港女たちは面倒見がいいようで「事前にできないことを断る」ということをしない(できない?)。港女の約束はあてにならない。

その瞬間の真心に疑いはない。それは断言できる。

しかし、はっきりいって計画性に欠ける港女たちは、直前になって私の梯子を外すように感じてしまう。そこに害意はないと思う。

何度「心配すんな。なんとかしてやる」と言われて、土壇場で「忘れていた」「⚪︎⚪︎して」になることか。一番お世話になるけれど一番頼りにならないのがこの人じゃないか。中国と香港と入れ違いになったもう一人の方がそういう約束を破らない。ただし酷く遅いけれど。

通りの名前を確認して、マップの風景と重ねる。大埔道。YHAの前を通っている道だ。何度もこの通りを往復してしまう。GPSがうまく機能しない。どっちに行けばいいの?山側に行けばいいのだが、そもそも山が見えない。

スマホのバッテリーは尽きかけだ。

私は小走りに歩き続けた。

こんなレストラン、私は知らない。そう思いながらふと道が開けた。

ホステルはこの公園の脇の坂を登ればいい。

目印にしていたガーデンビルのネオンは消えていた。

部屋に戻ると真っ暗で、今度は目が暗闇に慣れず見えない。ベッドの上に準備しておいたビニール袋を取るのにガサガサ音がしてうるさい。電気をつけられないので壁に正面衝突するetc。時計を見れば午前2時。ベッドの上の寝返りの音が聞こえた。ごめんごめん。起こしてごめん。ようやく鏡に映った私を見ると、泣いてはいないけれど頬は真っ赤になっていた。

そして思った。

ほぼ一時間ノンストップに小走りを続けた。喘息が起きなくてよかった。夏だからだ。冬には香港に来てはならない。

来年映画祭に来るなら、夜上映のものは選ばない。もしくは、深水埗には泊まらない。

突然の銃撃戦が始まらなくてよかった。私の深水埗暗夜は「PTU」とか「ワン・ナイト・イン・モンコック(旺角暗夜)」じゃなくてよかった。ラム・シューがいなかったから大丈夫なのさ。デブを見たら逃げようぜ。

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