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深水埗・メイホーハウスの美荷生活館で香港の歴史を知る

2015年4月にYHAメイホーハウスというユースホステルに宿泊しました。
⇒深水埗のYHA美荷樓のドミトリーに宿泊しました

ここはオープン直後の2014年1月香港旅のときに訪れていました。どこに泊まろうかという話になり、一つ案として出たのですが、空気の汚い冬に街中に宿泊するつもりにはなれずに泊まらなかったのです。それでも、ここ、展示があって案内あるよ、ということなので港女ズと行きました。
メイホーハウス

ツアーは英語と広東語で英語ツアーに申し込んだと聞いたのに、広東語ツアーでした。港女が訳してくれました。
ツアー
もともとメイホーハウスのある深水埗という地域は第二次大戦後に、そして中華人民共和国成立後に中国本土(特に広東省)からやってきた人々が住みついた地域でした。我が友のおじいさんおばあさんという人たちは、その頃に香港にやってきたそうです。

バラックか何かだったんでしょうね。1953年のクリスマスにこの地域を大火が襲います。石硤尾大火です。
大火

辺り一帯全てが焼け野原になりました。この木のところまで焼けた、というとだったかな。
ここまで焼けた。

香港政府はこの焼け出された人々をなんとかしなければなりません。

そこで、香港政府は初の公共住宅を建設することにしたのです。「一つの部屋に大家族が押し込められた」と私などは感じてしまいますが、焼け出された人たちから見れば御の字だったでしょう。

いくつもの公共住宅が建設され、屋上には学校もありました。その最後のものがリノベーションされてメイホーハウスとしてユースホステルになっています。

模様

ツアーは15分くらいでおしまいです。無料の美荷生活館があるので、そこに入りました。
昔のメイホーハウス

展示を見ていて思い出したのは、長崎の軍艦島でした。「他の地域にはなかったような、家電がここにはあった(それほど豊かだった)」との話でしたが、集団行動のできない私から見れば悲惨で非人間的な空間なのですが、中にいる人はそれなりに楽しく生活したようです。ここもバラックと比べればましだったでしょう。九龍城とどっちが良かったかな。

チャイナドレス
実物のチャイナドレスは「花様年華」とは随分と違う。

学校の写真。
学校

ここで一番楽しかったのはミニチュアや、実物大で再現したところ。
窓まで再現してあるよー
窓も再現

これは実物大
当時を再現

なんだかMr.Boo!あたりに出てきそうなのとか。
Mr.Boo?

レスリー・チャンの「失業生」(青春の光と影)のレスリーの住んでたところを彷彿させる。
失業生

三人は暮らしそうだけど、なんだか貧しい「欲望の翼」みたい。
欲望の翼?

これはキョンシーものでおなじみ、米屋さん。
キョンシー
なんでキョンシーで米屋だって?もち米がキョンシー封じに使われるからです。米屋がもち米と称して安い米を混ぜてーというのがありましたね。

中華人民共和国成立後は、国民党は台湾に渡ります。窓に大きく中華民国の国旗、青天白日満地紅旗が掲げられた写真がありました。

ここに生活した人の中に、のちに有名になる人がいます。

ジョン・ウーです。確かに、「呉」を「ン」と読ません。

ここで生活した人たちは、もう高齢です。激動の香港。今でも住環境は良くないのですが、ここと比べたらましなのかな。

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